じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

10月24日(日)

【思ったこと】
_41024(日)[旅行]アンデス最深部(4)ボリバル将軍とアメリゴ・ベスプッチ

 土日の休みを利用して、8月のアンデス旅行のアルバムのうち、最終日のスクレ市内と、機上からの眺めの写真をアップロードした。アルバムとしては、「アタカマ富岳百景」と「ツアーの様子」がまだ残っているが、これらは、すでに掲載した写真のうち関連のあるものを1つのページから閲覧できるようにするだけであって、新たな写真掲載は予定していない。ということで、今回のアンデス旅行のアルバムサイトは、旅行から2カ月後でほぼ完成となった。

 ところで、最後に掲載したスクレは、ボリビアの憲法上の首都である。しかしこのことはあまり知られておらず、私自身も、昨年夏にボリビア・アンデスに登る時まで、ボリビアの首都はラパスであるとずっと思っていた。

 スクレ市内のページにも書いたが、ボリビアという国名は、シモン・ボリバル(Simon Bolivar. 1783年7月24日 - 1830年12月17日。南アメリカの民族主義者、将軍)の名にちなんでつけられている。「ボリバル」が「ボリビア」に修正されたのは、Manuel Martin Cruzの提言によるという。「コロンブス」にちなんんで「コロンビア」という国名がつけられたのと同じ命名規則によるらしい。

 このボリバル将軍のことを検索して初めて知ったのだが、ベネズエラの正式国名はベネズエラ・ボリバル共和国(Bolivarian Republic of Venezuela)であり、通貨単位は「ボリバル」となっている。外務省基礎データによれば、ベネズエラは1811年にスペインより独立、1819年に大コロンビア共和国成立、さらに1830年に同国から分離して「ベネズエラ共和国」、1999年12月新憲法発効により、今の国名となったようだ。ボリバル将軍はもともとカラカスの貴族の家庭に生まれており、ナポレオンに仕えたこともあったという。ボリバル自身は、南米の北西部一帯に強大な統一国家を作ることを目ざしていたらしい。

 余談だが、南北アメリカ大陸には、探検家や英雄にちなんだ地名が数多く見られるが、その中でも一番スケールの大きいのは何と言っても「アメリカ大陸」、「アメリカ合衆国」の名で知られるイタリア人のアメリゴ・ベスプッチ(Amerigo Vespucci)であろう。コロンブスがインドだと思いこんで「西インド諸島」に白人として初めて到達したのに対して、アメリゴ・ベスプッチは、それが新大陸であることをヨーロッパに広く知らせたところに功績があると言われる。しかし、彼らの勇気と努力は称えるとしても、しょせんそれらの「発見」は白人本位であるにすぎない。といって、今さら、「アメリカ合衆国」は「ワシントン合衆国」に改名すべきだという話もきかない。