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ボリビア・アンデス旅行記


目次

8月23日(土)

8月23日(土)【ちょっと思ったこと】

ボリビアから無事帰国

 23日の夜、ボリビア・アンデスの山旅から無事岡山に戻った。8月12日付けの日記に書いたように、このツアーでは、チュチュ峠小ピーク(4800メートル)、チチカカ湖の太陽の島トレッキング(3810〜4100メートル)、コンドリリ湖(4660メートル)、チャカルタヤ峰(5395メートル)という4つのトレッキングが予定されており、何よりも高山病が心配されたが、実際には、全くその症状が現れず、小学校の遠足程度の楽な山歩きを楽しむことができた。

 高山病にかからなかったのは、1つには日程が高所にうまく順応できるよう周到に計画されていたこと。また、昨年の東チベット旅行の際に高所順応のコツがつかめていたこと、その際の順応力が残っていたことも好結果をもたらした一因かと思う。

 とはいえ、ボリビアはやはり遠い。

 今回の旅行は日程上では、8月12日9時過ぎに岡山を出発し13日の14時頃にラパスに着くことになっているが、これはあくまで現地時刻での話だ。ラパスの14時は日本時間では14日の夜中の3時にあたるので、実質37時間かかることになる。このうち、約30時間を機内ですごした。

 帰りの日程も同様であった。ラパスのホテルを出たのが8月21日の11時半頃。これは日本時間の8月22日午前0時半にあたる。成田〜伊丹、伊丹〜岡山の乗り継ぎに時間がかかったこともあり、岡山に戻ったのは8月23日の22時頃になった。

 所要時間が長いことにくわえて、昼と夜が正反対、季節も正反対というは体のリズムに少なからず影響を与えた。最初のうちは午後になると突然睡魔に襲われることが多かった。というのはボリビアの午後は日本の真夜中にあたるからだ。逆に、なかなか寝付かれないこともあった。日本の朝の一番目が冴えている頃に眠ろうとするためである。このほか、現地の日の入りは日本の日の出、現地の日の出が日本の日の入りとほぼ同時刻というのも興味深い。

 8月12日付けの日記で、この旅行のもう1つの楽しみとして、南半球の星と、天頂に赤々と輝く火星を眺めることにあると書いた。南半球での満天の星は、8月17日に宿泊した太陽の島と翌日宿泊したワタハタ(いずれもチチカカ湖畔)で堪能することができた。双眼鏡でいろいろな星雲を眺めることもできた。天頂付近で赤く輝く火星もまた見事だった。

 帰国後の時差の影響は今のところない。一晩たっぷり寝たら、朝6時にちゃんと目が覚めた。よく言われることだが、東回りに比べると西回りは時差の影響が少ないようだ。寝たいだけ寝て、やっと朝を迎えるというゆとりがあるためかと思う。



8月24日(日)

【思ったこと】
_30824(日)[旅行]ボリビア・アンデスの山旅(1)ボリビアという国

 ボリビア・アンデスの山旅とチチカカ湖のサイトをこちらに開設。とりあえず、ラパスで撮影した写真ハイライトをこちらにアップした。

 海外旅行のアルバムサイトはこちらからリンクできるように設定してあるが、実は、昨年夏の東チベットは黄河源流域の手前以降分、今年の正月に行ったタスマニア・トレッキングは最後の一日分が未完成となっている。今回のボリビア・アンデスはそんなことにならぬよう早めにアップし、10月からの後期が始まる前には残りの2つの旅行サイトも何とか完成にこぎづけたいと考えているところだ。

 さて、今回のボリビアは、7月中旬になってから慌てて申し込んだこと、その後、学会年次大会で多忙だったこともあり、どういう国なのか事前には殆ど情報を得る機会がなかった。

 外務省ホームページの情報によれば、ボリビアの面積は109万858平方1kmで、日本の約3倍。人口は827万人(2001年)となっている。

 外務省のページにも記されているように、ボリビアの憲法上の首都はスクレにある。これは独立革命の中心になった都市であり、現在でも最高裁判所がここに置かれているという。

 ボリビアは周辺をすべて外国に囲まれた内陸国である。ではどういう国に囲まれているのか。ペルー、ブラジル、チリはすぐに思い浮かぶが、他に、パラグアイとアルゼンチンにも接している。もっとも、ガイドさんの話によれば、独立当初のボリビアは今より広い領土があった。一番問題となるのはチリとの国境であり、元来は海に面する部分があったらしい。このほか、周囲のすべての国から領土の一部が「奪われて」しまったことをガイドさんは嘆いていた。とはいえ、南アメリカ最貧の国であり、軍備も最弱であることを考えると、戦争で領土を広げることなどは到底困難。周辺国との平和を維持していく以外に生き残る道は無いのだという。

 サンパウロからの飛行機は、サンタクルスにいったん寄ったあと、ラパス近郊のケネディ空港ケネディ国際空港に降りる。そこは標高4082mで、世界最高所にある空港だという。岩と雪の山々の中に忽然と現れる茶褐色の大都市はそれ自体驚きであった。こんなへんぴな所になぜこんなに大きな都市があるのか、平日にもかかわらずなぜ大勢の人が日中から街中に集まってくるのか、謎は深まるばかりだった。



8月27日(水)

【思ったこと】
_30827(水)[旅行]ボリビア・アンデスの山旅(2)カラコルム、チベットとボリビアを比較する

 今回訪れたボリビアは標高が3600m〜5400mとなっており、昨年訪れた東チベット3800m〜5000m、2000年夏に訪れたカラコルムハイウェイ3200m〜4800mとほぼ同じ標高。気温も景色にも共通性を感じることが多かった。もっとも気候的には、東チベットとカラコルムを訪れたのは夏の一番暖かい時期、これらの地域の冬は雪に閉ざされた厳寒の季節となる。いっぽうボリビアのほうは8月は冬にあたるが稀にあられや雪が降る程度で今より寒くなることはない。逆に「夏」と呼ばれる時期は雨期にあたり、雲に覆われ山は見えなくなる。またこの時期のほうが雪が降り、チチカカ湖の水位が1mほど上昇すると聞いた。東チベットやカラコルムより暖かいせいだろうか、4000m以上の高所でも牛、羊、豚などがごく普通に飼育されていた。

 3地域でまるっきり違うのは、やはり宗教であろう。カラコルムはすべてイスラム教、チベットは仏教、そして、今回のボリビアはキリスト教(カトリック)の世界だ。

 イスラム教の世界では、朝早くからコーランの祈りの声が町中に響き渡る。また、衣装や職業やアルコール摂取に規制がかけられている国もある。1日5回のお祈り、断食月など、宗教と一体となった日常生活を感じさせられることが多い。

 チベットの場合も日常の隅々まで宗教と一体となっていた。民家には経文を印刷した布(タルチョ)が運動会の万国旗のように張り巡らされ、また家の中には高僧の写真が飾られていた。。高齢者は暇さえあればマニ車を回す。このほか、子供の一部を僧侶にさせることが食糧生産や人口バランスを保つ機能を果たしている点も見逃せない。

 こうした点で比較すると、ボリビアの人々の日常生活は、宗教の影響をそれほど強く受けていないように見えた。

 もっとも、農村地帯では、土地自体は私有されているものの、村単位でしっかりとコミュニティが形成されていると聞いた。その中心には教会があり、おそらく、日曜日にはそこに集まっていろいろな話し合いがもたれるのだろう。このほか、地方の町にもミッションスクールがたくさん設立されており、宗教教育の影響は大きいものと思われる。

 ボリビアではまた、スペイン侵略以前からの原始的な宗教も根強く残っているようだ。トレッキングに行く途中、大地に跪いて空に向かって祈りをささげているインディオの女性を複数目撃した。また、トレッキングコースの1つである太陽の島には、今でも使われているという野外の祭壇があった。いま述べた「原始的宗教」という表現も、実は、西欧文明が一方的に名付けただけの蔑称にすぎずない。ほんらい、宗教には「原始的」や「高度に発達」といった区別はありえないのである。

 ボリビアでカトリックがどのように定着しているのか、個々人の生活レベルで詳しく調べる必要があると思った。もともと布教の段階では、キリスト教の教義の優越性ではなく、奇跡のパワーを鼓舞し、畏怖や御利益をキーに信者を増やしていったところがあるように思えた。あるいは、日本における初詣や葬式仏教と同様、世俗的な行事が中心になっているのかもしれぬ。


9月5日(金)

9月5日【ちょっと思ったこと】

「温水」は左、「冷水」は右?

 左利きの人が不便な設備の1つとして“「温水」は左、「冷水」は右”があると、某Web日記に書かれてあった。そういえばそうかなあと思って、大学内などいろいろ探してみたところ、少なくとも2カ所では確かにその通りになっていた。これって、統一規格が定められているのだろうか。

 そのことで思い出したが、ボリビアのホテルでは確かに“「温水」が左で「冷水」が右”になっていた。そのことに気付いたのは、温水がC、冷水がHの表示になっていたためであり、最初は「H」をひねっても全然お湯が出てこない。ためしに「C」をひねって熱いお湯が出てきて、そういえばここはスペイン語圏であったかと気づいた次第だ。但し、スペイン語では冷水は「F」となるはず。英語圏からの部品しかなかったせいだろうか。

 ではどこの国でも同じなのだろうかと、念のためネットで検索してみたが、旅行者を混乱させておりホテルも各所にあるらしいことが分かった。
  • こちらには、“イギリスの古い家屋のほとんどは、右がお湯、左が水。”と書かれてあった。
  • こちらによれば、メキシコは日本と逆、もしくは統一性が無いと書かれてあった。もっとも、この方は“日本では水を出す場合は左回り、右へ回せば止る”、“台所にしろ、お湯のノブと水のノブの位置、これが日本は左側に水、右がお湯と決まっている。”と書かれてあったが、回す方向はおっしゃる通りであるとして、位置のほうは上記の議論とは逆であるように思う。
  • ギリシャでは、お湯が左から出るが、青いマークと赤いマークが逆になってると書かれてあった。ま、これはそのホテルだけの、業者のつけ間違いかもしれない。


【思ったこと】
_30905(金)[旅行]ボリビア・アンデスの山旅(3)チチカカ湖の虚構と現実

 今回の旅行では、チチカカ湖に浮かぶ「太陽の島」に1泊し島内縦走のトレッキング、さらに湖畔のワタハタのチチカカホテルにもう1泊し、湖面からの夕景色や日の出を楽しむことができた。

 チチカカ湖については、何十年も前に視た兼高かおるや「なるほど!ザ・ワールド」などの番組で植えつけられたイメージが強く、現実とのギャップを痛感した。リャマやアルパカやロバで移動し、葦船で魚を捕り、またある部族の人達は未だに浮島の上で生活しているというのが、その当時の典型的な光景であったように思うが、もちろん現実は全く違っていた。

 こちらにアップしたアルバムにあるように、全体の印象としては、地中海沿岸のリゾート地といった感じ(特に写真13〜15)。葦船(写真18、20〜22)はもちろん、湖畔で飼われているリャマやアルパカ(写真30、33〜34)はもっぱら観光用であった。「太陽の島」のホテル周辺では、民族衣装をつけた子供がリャマをひきながら有料写真の勧誘をしていた。

 とはいえ、富士山より標高の高い湖面は真っ青に輝き、遠くの雪山とのコントラストはまことに美しい。いくら観光地化しても、この風景だけは失われないだろう。




 なお、アルバムでは湖全体をチチカカ湖と書いたが、この、海のような巨大な湖はペルー側から突き出した半島によって2つに分かれているようにも見える。ネットで調べたところ、北部はチュクイト、南部は「ウイニャマルカ湖」と呼ばれるようだ。

 「太陽の島」に渡る際には、2回も船に乗った。陸地から島に渡るのになぜ2回必要なのか、その時はさっぱり分からなかったのだが、今述べたように、半島の付け根がペルー領であるため、ボリビア国内だけを通って太陽の島に行くには、まず湖峡を渡らなければならなかったのである。湖峡の町ティキーナは、人を乗せる小型船や、バスを運ぶ「フェリー(艀)」の発着で活気にあふれていた(写真4、19)。

 ペルー側から突き出した半島には、よく整備された道路がコパカバーナに延びていた。途中、ペルー国境から100m足らずのところを通ったが(写真6)、金網や柵のようなものはバスの窓からは確認できなかった。ボリビアはチリとは国境をめぐって緊張があるが。ペルーとはきわめて仲が良い関係にあるらしい。




 なお、このあたりで気になったのが、ペットボトルの処理だ。チチカカ湖の湖面にも空きボトルがいくつか浮かんでいたほか、道路脇にもたくさん捨てられていた。ヘタに燃やすよりはそのまま放置しておいたほうが安全かもしれないが、何とかしないとゴミだらけになってしまう。昨年訪れた東チベットでも同じようなゴミの散乱を目撃した。

11月23日(日)

【思ったこと】
_31123(日)[旅行]ボリビア・アンデスの山旅(4)ボリビア旅行アルバム、やっと完成/デジカメの画素とファイルサイズ

 8月中旬に訪れた、ボリビア・アンデスの山旅とチチカカ湖の写真のうち、空から撮影した景色をやっとアップし終えた。昨年夏のチベット東部(カム・アムド・黄河源流域)旅行記、今年の正月のタスマニア原生林ウォーキングのいずれもが未完成となっており、このさい、新しいほうから古いほうに遡る形で完成していこうと決めていたものの、なかなか時間がとれなかった。11/24のうちに、Web日記連載(今ここに書いてあることを含む)分をアップし、いくつか関連サイトにリンクを貼った上で完成させてしまいたいと思っている。

 さて、のどかで平和に見えたボリビアであったが、10/21付の外務省海外安全情報(←「海外危険情報」とすべきではないかなあ)によれば、帰国から1カ月もしない9月19日以降、大規模な反政府運動及び建物への破壊活動が行われ、治安当局と衝突する事態となり、死傷者約500名が発生したという。エル・アルト国際空港は約一週間にわたり事実上閉鎖し、外国人の立ち入りも不可能となったが、10月17日にはロサダ大統領(当時)の辞任及びカルロス・メサ政権の発足を受け、都市部における大規模デモや集会、農村部における道路封鎖は収束し、市民生活は落ち着きを取り戻しているという。これまで旅行した地域では他にも、インド・カシミール地域、ヨルダン川西岸、タジキスタン、中国パキスタン辺境地区などは現在では危険地帯になってしまった。いずれ行ってみたいと思っていたトルコやサウジアラビア砂漠地帯もテロの危険が出てきた。辺境ツアーやトレッキングようなものは、多少無理をしても、行かれる時に行っておいたほうがよいと思う。

 さて、ボリビアだが、あくまで観光客として風景だけに限って感想を述べるとするなら、これほど楽をしながら美しい景色を楽しめる所はそうザラにはないと思う。「楽をしながら」というのは、高山病さえかからなければ、設備の整ったホテルから日帰りで5000メートル級の山々に楽々とトレッキングができるということだ。このあたりはネパールヒマラヤやチベット奥地とは明らかに異なる。また、このような高地にチチカカ湖のような巨大な湖が存在すること自体が不思議だ。

 もっとも、「楽である」ということは逆に言えば、人跡未踏の地ではないということ。高い山の麓まではアルパカやリャマなどの家畜が放牧されているし、山の近くまで車道が延びている。いくつもいくつも山を越えてもまだその先がある、というチベットのような神秘性は無かった。一度は絶対にオススメだが、二度以上は行かなくてもよい所だと思う。




 今回、写真の整理に手間取ったのは、撮影した写真の中からよさそうなものを選び、圧縮をかけているためである。原則として640×480サイズでしか撮影しないが、それでも原画は1枚につき150KB前後になってしまう。これを50KB前後に圧縮して説明文を入れるだけで結構手間がかかってしまう。

 世間では500万画素などというデジカメ(←「デジカメ」は三洋電機の登録商標なので、公式には「デジタルカメラ」と呼ぶべきかも)も登場しているようだが、私の場合は、Web公開が原則。そんなに大きなサイズは要らない。

 ちなみに、今回ボリビアで撮影した写真は1785枚、トータル262 MB (274,807,381バイト)だったので1枚あたり150.3KB。正月にタスマニアに行った時は1311枚、220 MB (231,019,559 バイト)だったので、1枚あたり171.8KBであった。タスマニアのほうが若干サイズが大きいのは、カラフルな実や花やキノコなどがあったため、JPEGの特性上、より多くの記録情報を必要としたためではないかと思われる。

 それにしてもデジカメは有り難い。昔のフィルムで1800枚もの写真を撮ったら36枚撮りフィルムで50本。フィルム代と現像、同時プリント代を含めると10万円前後の出費になってしまう。それと、昔のように重いアルバム台紙を用意する必要がない。生涯に撮影するデジカメ写真の全ては、どんなに多くても、DVDで10枚もあれば十分に保存できるはずだ。