じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 妻の雛グッズ。なぜか二千円札がよく似合う。





2月28日(木)

【ちょっと思ったこと】

戸塚ヨットの悪夢

 2/28の朝日新聞によれば、最高裁第二小法廷は27日までに、傷害致死や監禁致死の罪に問われていた戸塚ヨットスクールの戸塚宏被告(61)の上告棄却を決定した。これにより懲役6年が確定し、戸塚被告の収監手続が進められる見通しであるという。

 この事件は今から20年ほど前、ヨットでは世界的にも名の知られた戸塚氏が、スパルタ式のヨットスクールを開設。家庭内暴力など情緒的な問題を抱えた子どもを引き取り「治療・矯正」を試みたことに端を発している。その過程で訓練生4人の命が奪われた。

 当時の映像が伝えるところによれば、家庭から拉致同然に連れて来られた子どもたちは、前屈みでやっと入れるような狭い檻に入れられたり、殴られながら何百回もの腹筋を強制されていた。当然のことながら脱走者も出る。脱走者は捉えられると手錠をかけられて連れ戻されリンチを受ける。恐怖で震えながら路上に正座させられている子どもたちも居た。行動分析の創始者スキナーが最も忌み嫌っていた罰的統制の繰り返しであった。

 しかし、この裁判の一審では「被告らの行動は、教育に困難を感じていた父母らから子どもを引き取り、独自の方法で治療、教育して卒業させようという意欲に基づいていた」という理由で執行猶予つきの判決が出されたこともあった。実際、当時、家庭内暴力に苦しんでいた父母たちには、他に頼るべき機関が無かった可能性もある。

 98年4月18日ほかの日記で取り上げたことがあるが、1996年11月、家庭内で暴力をふるう息子を父親が金属バットで殺害したという事件があった。本を参考にしたりカウンセラー等の助言を受けた父親は、暴力に抵抗せず、息子の奴隷のようになって改善を図ろうとした。長女と妻が別居するなかで、長男と二人暮らしの生活を続けた末の、思い余っての犯行だったと伝えられている。もし息子を戸塚ヨットスクールに入所させていたら、ひょっとしてこういう不幸は起こらずに済んだかもしれないと思うと、複雑な気持ちになる。

 あれから20年ちかくたった今、行政は家庭内暴力や情緒障害にどこまで対応できるようになっただろうか。改めて自己点検が迫られている。




それほどまで逃げたいのか?

 2/28の朝日新聞の同じ紙面には、1984年に小学6年の女児を刺殺し、時効直前に逮捕された元大工見習い(38、当時19歳)に対する判決公判の記事があった。松山地裁西条支部は、この被告に対して懲役11年(求刑懲役15年)を言い渡したというが、求刑の懲役15年でも軽すぎるように思えてならない。

 記事によれば、被告は1984年2月に、わいせつ目的で女児を暗がりに誘い込んだが、大声を出されたため、持っていた小刀で右胸を刺して殺害した。ところが、当初この男性のアリバイが崩せず捜査は行き詰まる。1998年秋になって、アリバイが崩れたことで改めて追及し、時効の1週間前に逮捕、3時間前に検察が起訴したという。

 この被告が完全に冤罪であるならば同情もできる。しかし、事件後ずっと虚偽のアリバイで罪を逃れ続け、アリバイが崩れた後は、なんと「○○さん(被害者)が逃げる時に体がぶつかり刺さった」として殺意を否定し、「強制わいせつ致死罪の時効10年が成立している」として免訴を求めるとはまことに狡猾な逃げ口だ(判決では「未必の故意」と認定)。いくら弁護側とはいえ、被告に改心を求めず、あわよくば償いなしで済まさせようなどとする態度は正義に反応する行為として批判されるべきである。その後の法改正もあったかもしれないが、「強制わいせつ致死」や「婦女暴行致死」などは殺人罪と同罪に扱うべきだ。

【思ったこと】
_20228(木)[教育]ビジネス感覚で大学をとらえる

 昨日に引き続き、英国Southampton大学・Centre for Learning and TeachingのH.Mathias(マサイアス)博士の講演を拝聴した。今回は「The University System in the UK」という話題。聴衆の大部分が教員であったため、昨日よりもやや早口、翻訳も一切入らなかった。とはいえ、こういう場所に集まってくるだけあって、物怖じせずに英語を話す教員が多い。質疑応答のほうも十分盛り上がった。私もそれにつられて下手な英語で3回ほど質問・発言をしてしまった。

 まず全体として、「Universities run as businesses」という見出しに象徴されるように、ビジネスの感覚が各所で重視されているような印象を受けた。昨日の講演でも言及されたが、「Building the market」とか「Building the reputation」が基本指針の1つになっている。また新聞などに公表されるLeague tables(statistics and performance indicators)のランクに一喜一憂するところもある。独立行政法人化が進めば、日本の国立大学でも同じような取り組みが必要になってくるだろう。

 教育・研究の評価に関しては、やはり、「教育と研究の両立の難しさ」、「評価にかける時間的金銭的コスト」などの問題が残っているようだった。その他、マイナス評価ばかりでなく、「quality enhancement」「performance appraisal」といったポジティブな面の重要性も強調しておられた。

 余談だが、提示された資料(昨日もあった)の中で、「FIRST DEGREE COMPETION」という国際比較(1998年、出典OECD?)の棒グラフがあり、英国はノルウェイに次いで第二位で35%、日本は第九位で28%となっていた。これをもって、落第者や中途退学者を出さないという英国の大学教育の質の高さを強調しておられたようだが、もしこれが進級者の比率であったとすると余りにも低すぎる。また日本でこのような統計がとれるかどうかも不明である。念のため御講演後に直接質問してみたのだが、博士ご自身、数値の算出方法についてはよく分からないとのことだった。いったい何の比率だったのだろうか。どなたか情報をいただければ幸いです。