じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 梅日和。





2月24日(日)

【思ったこと】
_20224(日)[一般]冬季五輪の公正基準:手続の妥当性か「論より証拠」か

 ソルトレーク冬季五輪はまもなく閉幕となる。日本人選手の活躍がいまいちだったことに加え、審判の判定の不透明性などから後味の悪い大会となった。

 特に不公正さが目立ったのがスピードスケートのショートトラック種目。男子1000mでの寺尾選手、同じく1000m決勝での中国の選手、さらに男子1500m決勝では先頭でゴールした韓国の選手が失格にされた。

 これらの事例だけを見るとアジア人差別のようにも見えるが、その後24日(日本時間)に行われた500m準決勝では、寺尾選手がアポロ君(オーノ選手)にはじかれて転倒。その際にはアポロ君が失格となり寺尾選手が救済により決勝進出。また5000mリレーの5〜7位決定戦ではベルギーが失格して日本が6位から5位に繰り上げとなったため、日本人の怒りはいくらかおさまったようにも思える。もっとも競技判定の公正さは種目別に独立して論じられるべきもの。「give-and-take」で反論されたのではたまったものではない。



 ところで、今回の一連のトラブルを見ていると、欧米人と日本人は「公正さ」の認識に根本的なズレがあるのではないか思われるふしがある。

 日本人にとっての公正さとは、「論より証拠」に一致した判定がなされているかどうかだ。審判にえこひいきの意図が無くても、見落としや錯覚による決定がなされればたちまち抗議が殺到する。審判は単なる代表観察者であって決定者ではない。ビデオの記録と矛盾しない決定を下す審判だけが信頼される。

 これに対して、米国人(おそらく欧米人も)の場合は、審判は決定者として絶対視される。判定の結果はビデオでは覆らない。ただし審判が定められた手続に従わなかった時や、外部からの賄賂や脅迫によって判断をゆがめた時には大問題となる。

 今回、フィギュアスケートでカナダのペアに金メダルが与えられたのは、ビデオで再検討が行われたためではない。フランスの審判に圧力がかけられていたと報じられていたために、公正さが揺らいだからにほかならない。寺尾選手失格の場合も同様である。国際スケート連盟はビデオなど見ようともしなかった。但し、競技直後に日本の抗議を審判が無視したプロセスには問題があったということで、謝罪文が送られることになったという。

 ステレオタイプな見方は禁物ではあるけれど、こうした違いは、ひょっとして、文化の違いに帰属されるのではないかと思われるところがある。つまり、昔から民族や宗教上の対立を繰り返してきた人々にとっては、事実さえ共有できない。先の五輪での柔道の判定もそうだったがビデオの映像は彼らの証拠にはならないのだろう。だから、あらかじめ、紛争処理の方法を合意しておいて、審判や代表に判断を委ねるのである。そして一度委ねた以上は、判断の結果については文句を言わない。これを徹底することで和を保ってきたのではないか。

 だからこそ、大リーグの審判は絶対的な権利をもつ。陪審制の裁判で、真実と異なる判決が出されたとしても、あえてそれを受け入れようとするのだろう。あげくのはては、他国で民間施設を誤爆しても、潜水艦が急浮上して民間船を沈没させたとしても、マニュアル通りの対応さえしていれば指揮官は責任を問われないということになる。

 いっぽう、少なくとも日本人の場合は、審判や裁判官の決定はゼッタイではない。決定の手続に落ち度が無くても、「論より証拠」を誤認していた時には鋭く責任を問われることになる。大相撲でビデオによる判定が制度化していったのも、プロ野球の審判にやたら文句をつけるのもその表れではないかと思う。

 日本人が第三者に絶対的決定権を委ねようとしないのは、1つには、長い歴史の中で、支配者が必ずしも正しい判断をしてこなかったことへの不信にあるかと思う。しかし、もっと重要と思われるのは、ムラ社会の中で、比較的「同じ目」が持てたことだろう。それと、決定の全責任を負うことへのためらいが結果的に「客観的」事実を尊ぶ風潮をもたらしたという側面があるように思える(←それゆえ、日本では個人責任はしばしば曖昧にされる)。



 この日本人が事実を重視するという話、前にも書いたような記憶があったので過去日記を検索したところ、あったあった。昨年3月21日の日記で「ファクトを重視する日本人?」を取り上げていたのであった。『英語はいらない!?』(鈴木孝夫、PHP新書、2001年)の
.....私がよく言うことの一つに、日本は事実(ファクト)に重きを置く文明であって、欧米や中国といったユーラシア大陸のそれは、基本的にはファクトよりもフィクション(言説、理屈、そして虚構)を重視する文明だというのがあります。...【略】
という部分が引用されていた。なるほどこう考えると、ビデオ重視の日本人と、判定手続の妥当性を重視する欧米人との違いがクリアになってくる。