じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 卒論試問等の一連の行事が終わったので、半日分の休みをとって、夫婦でRSKバラ園と確定申告へ。バラ園と言っても、この季節の見頃は梅である。あっ、梅もバラ科だからいいか。





2月21日(木)

【ちょっと思ったこと】

「子育てについての電話相談」は「親へのカウンセリング」か

 バラ園に行く途中、ラジオで電話相談室をやっていた。この日の話題は、子供や孫の「おねしょ」、「心因性の下痢」、「吃音」、「山村留学」、「多動」などについての相談事であったが、拝聴していると、半分以上は、親や祖母自身の悩み相談という感じだった。つまり、

【子供自身が抱えている問題点】→【それについての子供自身の悩み】→【親や祖母が相談を代行】

ではなく、むしろ

【子供自身が抱えている問題点】→【それについての親や祖父母の心配】→【親や祖父母自身の悩み】→【相談】

というプロセスを辿っているのである。もしかすると、子供や孫自身はそれほど困っていない。むしろ、親や祖母の取り越し苦労のようなものを相談員が解決するというものである。相談員の方もそのあたりにずいぶん配慮されているような印象を受けた。

 ラジオ電話相談ではしばしば「医療」もテーマとなるが、この場合は、かかりつけの医師に対する不信が背景にあるように思う。「このような治療を受けておりますがそれでよいのでしょうか」、「こういう薬はずっと飲まなければならないのでしょうか」などなどだ。この場合はたいがい、「なぜそういう治療が必要なのか」、「予後はどうなるのか」などを懇切丁寧に解説する。これなどは、かかりつけの医師の説明不足にも問題があるし、患者が主治医に気兼ねせずに別の病院の医師に相談を求める「セカンド・オピニオン」[98年8月5日の日記参照]制度が充実すれば、患者の迷いも減ってくるように思う。
【思ったこと】
_20221(木)[教育]教員の個人評価の時間コスト

 さいきんいくつかの大学で、教員の個人評価の取り組みが活発になってきているようだ。個人評価というのは、教員個々人が、特定の書式に基づいて、研究や教育の実績を詳細に報告、その結果は一部点数化され、評価機関による検証を受け、場合によっては改善指導を受けるというシステムである。

 私個人は大学全体のFDに関わっている立場でもあり、こういう詳細な点検活動には大いに賛成である。実施の決定にかかわらず、自分が開設している公用HPのほうで、評価項目に準拠した公開点検をすすめていきたいと思っている。

 もっとも、こうした評価活動は、全く問題が無いわけではない。公的に点数化が行われるとなると、「あれもある」「これもある」というように、ありとあらゆる項目が雪だるま式に付け加えられていく。「この評価項目は不必要だ」というような主張は滅多にできないので、結果的に、膨大な調査票冊子ができあがることになる。となると、その記入のためには相当の時間を要することになり、そんな暇があったら論文の1つでも書けるわいという反対論が出てくることになる。それと、仮に点数化したところで、点数の高い教員が特別の褒賞をもらうとか、昇進できるなどのメリットが無ければ、ただのアリバイ作りに終わる恐れもある。

 このことについて、私はある会議でこんな事例を挙げてみた。
例えは悪いが、この種の評価はレストランにおける料理の味、店の雰囲気、接客態度などについての評価と同じであり、最終的にはお客によって判断されるべきものだ。営業時間を短縮して料理の味や接客態度の評価にあけくれ、一流の評価者を外国から招いたとしても、お客が入らなければそのレストランは倒産してしまう。大学における個人評価も、最終的には、大学の社会的使命に照らして外から評価されなければ意味がない。
 となると、まずは個人レベルから点検活動を始めるとしても、最終的には、各教員組織の単位で社会的役割を果たしているのかどうかがキーポイントとなる。

 教育業績に関して言うならば、教員がいかに熱心に授業の準備に取り組んだかを示すことも大切だが、究極的には
  • その教育単位(学科、講座、履修コースなど)で履修を希望する学生がどれだけいたか(「学生/教員」比など)。
  • その教育単位を卒業した学生は、社会に出てからどういう活躍をしたか、あるいはどれだけ大学院(他大学の大学院を含む)に進学したか
  • その教育単位の大学院には、毎年何名の院生がいるのか(「院生/教員」比など)
  • その教育組織は、全学の教養教育にどれだけ貢献しているか
  • その教育組織は、他学部・他学科からの副専攻希望者をどれだけ受け入れているか
など、具体的な成果を示しているかどうかにかかっていると思う。

 であるならば、開始時点では教員全員が一律に個人評価、自己点検にとりくむとしても、いずれは、ちゃんとした成果をあげていない教育組織に対してはより厳しく、逆に成果をあげている組織にはより簡略化された形で実施されるべきであると私は考えている。

 そして、成果をあげていない組織においては、例えば
  • カリキュラムに問題は無いのか
  • 学生の授業評価ではどこが低く評価されているのか
  • 教員個人の取り組みに問題はないのか
などを自己点検し、改善策を示す。そして、一定年限を経てもなお改善が見られない場合は、ポスト削減や他組織との統合に踏み切るべきである。

 このような形で外圧をかけておけば、各教育組織は、いやでも自己点検に取り組むであろう。上記の例で言えば、客入りの悪いレストランなら、何とかして立て直しをはかろうと徹底的した評価作業に取り組むであろうということだ。営業不振の店長(=講座の主任教授)など、責任をとって辞任すべきである。このようなシステムが当たり前のものとして機能すれば、教員全員に対して行われる個人評価作業はもっと簡略化されたものになるだろう。