じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
娘は陸上部に入っているのだが、女子部員が少ないため、いろいろな種目に駆り出される。前回は何と砲丸投げ。今回は中学女子駅伝にするはずの先輩が風邪で休んだため、補員として急きょ、アンカーの栄誉に浴することになった。前日は塾を早退するなど体調不良だったため途中で倒れたらどうしようかと心配したが、無事に完走してホッとするとともに、その逞しさに驚く。 |
【ちょっと思ったこと】
冬季五輪の正式名称は何だ? 夕食時、息子が、「冬季五輪はソルトレーク・オリンピックなのか、それともソルトレーク・シティ・オリンピックなのか」という疑問を出してきた。 私が「オリンピックはグレート・ソルト・レークで行われるのではないから、ソルトレーク・シティ・オリンピックが正式だろう」と言うと、妻は「前回は長野オリンピックであって、長野県オリンピックではなかったから、シティのつかない呼び方が正式だと思う」と言う。 ネットで調べたところ、日本語の呼称としては、
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【思ったこと】 _20210(日)[心理]今年の卒論・修論研究から(7)絵画鑑賞は心理学の研究対象になりうるか? いま読んでいる今年の卒論の中に、絵画鑑賞を研究対象とした研究があった。これまでに観た中で一番印象に残っている絵画についてインタビューしたり、絵画の表現方法についてのクラスター分析を行うなど、これまであまり取り上げられなかった複雑な問題に真っ正面からチャレンジした姿勢は大いに評価できると思った。 もっとも絵画というのは、一口に表現方法といっても、テーマ、登場人物等、タッチ、色彩など多種多様である。それらの違いが観る側のイメージにどういう影響を与えるかというのは一概には言えない。こういう複雑な対象に大して心理学の方法はどういうアプローチができるのだろうか。なかなか難しいように思う。 ではどういう方向に向けば生産的な研究になるのだろうか。まず、思うのだが、実物の絵を限られた枚数提示しても、あまりにも多様で、印象の比較を行うのは難しいように思う。それよりも、
しかし、どっちにしても、「絵画から何を感じ取り、それは何に起因するものなのか」という問題の立て方ではテーマが広すぎて「あれもある、これもある」型の羅列に終わってしまうように思う。最終目的をどこに見定めるかが今後の課題だろう。臨床目的であるなら、TATやバウムテストは絵を使った心理検査として知られている。 絵の場合は、それを眺めることの「癒し」効果に加えて、自分で描くことにも大きな意味がある。綺麗な景色に出会った時に、ただじっと眺めるだけでは物足りない、写真を撮っても物足りない、スケッチを始めるとやっと落ち着くという経験を持つ人も多いのではないかと思う。スケッチという行為を通じて、何とかして景色と能動的に関わろうという気持ちが自然にわき起こるためではないかと思う。 余談だが、私自身の好きな絵といったら何だろうか。小学校の頃だったか、ダリ展というのが東京タワー近くのホテルで開催されていて衝撃を受けたのを覚えている。高校の頃には佐伯祐三の絵が好きだった。その後は、滅多に美術展には足を運ばない。島根の足立美術館を訪れたのと、北九州美術館にユトリロ展を見に行ったのが最後だったと思う。壁に掛かっているものをじっくり眺めるというのは、能動的な働きかけが介在しないと気が済まない私の性分には合わないようだ。 |