じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

2月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

[今日の写真] 花カタバミ。日だまりでひっそりと花をつけている。





2月8日(金)

【ちょっと思ったこと】

妻に鉢の水やりを手伝わせる方法

 うちの夫婦の共通の趣味は鉢花や観葉植物を育てることである。ところが、妻は、鉢花をいっぱい買ってくるクセにちっとも水やりをしない。そこで、せめて半分は手伝ってもらおうと思い、ある方法を考案した。それは

まず、ベランダの手すりに布団を全部干す。そのあとからベランダに足の踏み場もないくらいに鉢を置いて水やりをする。

というアイデアである。
  • どうだ。私は帰りが遅いので、妻は自分で布団を入れなければならない。しかし鉢を取り込まないと布団が入れられない。よって「鉢を入れないと、せっかく乾いた布団が寒気にさらされるという『嫌子出現阻止の随伴性』によって、妻が鉢を取り込むという行動は条件づけられるのだ。
  • ふうん。そうかしらねえ。
  • それに、布団を取り込む行動のほうが鉢を取り込む行動より生起頻度が高い。ということは、ぷれまっくの原理によって、鉢を取り込む行動は強化されるのだ。どうだ、長年の行動分析の研究の成果により、ついに妻が鉢を取り込むという行動を強化する方法を発見したぞ!
  • あなた、そんなこと毎日やってごらんなさい。あなたが年取って寝たきりになった時には、ご飯を食べさせてやらないんだから。覚えてらっしゃい!
  • なるほど、それは、「妻に意地悪をすると、やがてご飯が食べられなくなるという、好子消失の随伴性モドキルール支配行動というヤツだなあ。で、ご飯というのは生得性好子。つまり「反応コスト」の随伴性が弱化をもたらすというわけだ。なるほど、なるほど。わははは、わははは


※心理学教室の学生向け練習問題]上記の会話文では、行動分析の概念がデタラメに使われている所がある。どの部分だろうか?
【思ったこと】
_20208(金)[心理]今年の卒論・修論研究から(5)修士1回生の発表会

 昨日の学部3回生発表に引き続き、今度は修士課程1回生の研究発表会が行われた。一般性のありそうな感想をいくつか。

 最初の発表は、某国内のコミュニティに滞在する外国人たちの異文化交流に焦点をあてたものだった。こうした参与観察型の研究は、まず自分自身がそこに溶け込むことが必要である。テロが多発している中でヘタをすれば自分の命まで危うい。そういう苦労は十分に認められるのだが、できれば、より客観的で数量的な裏付けをとってほしかった。例えば50人の外国人が、食事中はどの位置で誰と一緒に食べるのか、余暇は誰と一緒に過ごすのか、メンバーどうしでどのようなインタラクション(挨拶、援助、衝突...)があるのかなどなど。そういう客観データと、聞き取りで得られた個々人の受けとめとの照合をすれば研究の価値が高まったのではないかと思う。

 2番目の発表は、CMC(Computer-Mediated Communication)に関するものだった。私が指摘したのは基本的に2000年度卒論リビューの内容と同一。つまり、心理学受講生を対象に、Eメイル、ネット掲示板などのの使用頻度や目的を尋ねることはあまりにも漠然としすぎている。同じ岡大生の中でも、一年前と比べれば使用形態は質的に大きく変わっている。特に最近では、ケータイを使ったコミュニケーションも活発であるし(1/24の日記参照)、常時接続でネットを利用する人が増えることでパソコンのほうからのアクセス形態も著しく変わっている。そういう中では、「質問紙的な調査+多変量解析」という手法で解明できる内容は限られているのではないかと思う。むしろ、いくつかの事例を取り上げ、それぞれがどのようなプロセスでネットに参加し、いろいろな体験を通じてどのようにコミュニケーションのスキルを磨いていったかを克明に分析したほうが成果が得られるのではないかと思った。

 3番目の発表では、某障害者施設の入所者の宗教観が障害の受容にどういう影響を与えるかというような構想が披露された。キリスト教と仏教を比較軸にするという話だったが、一口に○○教などといってもいろいろな宗派があるし、あまりにも漠然としすぎている。問いただしたところでは、「個と関係性」に関心があるという。つまり、初めに個人ありきから出発する欧米の個人主義的人間観と、他者とどのような関係を結ぶのかという関係性の中で自己をとらえる日本的な人間観を障害者において検討することに関心があるようだ。ならば、必ずしも宗教にこだわる必要はない。こうした人間観は、宗教のみならず文化全体の中で形成されていくものである。内山節氏の『自由論』や、和田秀樹氏の「ワン・パーソン・サイコロジーからツー・パーソン・サイコロジーへ」という視点が大いに参考になるのではないだろうか。また、さらに問いただしたところでは、障害の受容を「神が与えたもの」ととらえることにも関心があるという。その場合は、原因帰属の観点から研究を進めることができるはずだ。

 昨日の3回生の研究と異なり、修士課程では、ある程度学術的成果が期待されるような研究が求められる。締切は学部卒論より1カ月以上早い12月下旬となっている。全般に進み具合が遅れているように思うのは私だけだろうか。