じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
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【思ったこと】 _20206(水)[心理]今年の卒論・修論研究から(3)岡山大学生は日本国民の代表か? 連載3回目は、研究対象の代表性をめぐる問題。 今年提出された論文の中に「研究1の結果から、現代の日本では....」、「日本の大学生の特徴として」、「研究の結果、現代の家庭役割分担の現状は〜であることが明らかになった」、といった考察をしているものがあった。 「現代の日本は」とか「日本の大学生」などと一般化されると一体どういう調査をしたのだろうと思ってしまうが、実際に調べたのは、岡山大学の教養教育科目「こころの科学」の受講生200名足らずであった。岡大生200名を調べただけで日本の大学生とか現代日本の特徴のようなものが分かるのだろうか? もっとも卒論や修論のレベルで、日本国民全体から何千人ものサンプルを無作為抽出するなどということは予算的にも人的にも到底できっこない。また、仮に、2002年2月の時点の日本人全体の動静を正確に記録したからといって、そのことで直ちに、価値のある法則が見いだせるというものでもない。 では、どうすればよいのか。個人的には次のように考えている。
実験研究ではいっぱんに「追試可能性」が重視される。これは、どのような実験であれ、論文に記された方法の通りに実験を行えば同じ結果が得られるという保証書のようなものだ。もし異なる結果が出たとしたら、それは、オリジナルの実験と微妙な方法上の差違があるのか、偶然的な変動によるものなのか、あるいは、オリジナルの実験にデータ捏造があったことの証拠になる。それを確かめることで科学はさらに発展していく。 調査研究の場合も同様の「追調査可能性」が求められるが、歳月が流れれば人も環境も変わるので全く同じ調査を再現させることはできない。しかし、調査対象の属性や特徴が詳細に記述されていれば、原調査と追調査で結果の不一致があっても、何が原因なのかをある程度推測することができる。 上記の「追調査可能性」は、しばしば勘違いされている。例えば 調査対象は、2001年度後期の心理学概論(長谷川担当)の受講生200名。2001年11月10日の朝10時から10時10分の間に行われた。と書けば正確な記述になるのだろうか。否である。なぜなら、その受講生がどういう学部の学生なのか、学力はどうか、自宅生と下宿生の比率はどうか、その授業で何が教えられていたのかなどが情報として記録されていないからである。では、どう書けば「追調査可能性」は高められるのか。これは、研究目的によっても変わってくるが、例えば、「大学生の勉学観」という目的の研究であったとすると、 調査対象は、2001年度の心理学概論(長谷川担当)の受講生200名。2001年11月10日の朝10時から10時10分の間に行われた。というように記しておけば、調査対象は大学生一般から無作為抽出されたサンプルではなく、かなり厳しい授業に耐えうる学生のみから構成されていることが明らかとなり、「追調査可能性」を高めることになるだろう[上記はあくまで架空の事例、念のため]。 調査対象の代表性については他にも考えているところがあるが、時間が無いので次回以降に続く。 |