じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

2月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

[今日の写真] 盆栽の梅、満開に。





2月4日(月)

【ちょっと思ったこと】

羽田・大鳥居のたたり伝説

 みのもんたさんの「今日は何の日」によれば、今から3年前の2月4日は、羽田空港の大鳥居の移転が完了した日。この鳥居は、1929年に鉄道会社が穴守稲荷神社に寄贈、戦前は参拝客で賑わった。ところが終戦後、進駐軍から神社とその周囲1200世帯に対して48時間以内の退去命令が出される。住民は途方に暮れ、中には船で夜を明かした人もいたという。

 ところが、進駐軍がこの鳥居を撤去しようとしたところ二度にわたり死傷者(ネットには死者が出たとの情報は無かったが)が出たため断念。日本に返還されたあとも、移転論議の最中に全日空、カナダ、英国の航空機が相次いで墜落したため再び立ち消え。1999年、新滑走路建設の際にやっと移転を敢行。その際にも強風が吹いたとか。

 「たたり」伝説は山形市の「大将軍のたたり」を始め各地で聞くが、羽田といえば飛行機。移転論議がたびたび持ち上がるなかで、ちょっとでも飛行機事故がおこれば何でも「たたりじゃー!」と恐れられやすい環境にあったのだろう。番組ではふれていなかったが、1982年の「逆噴射事故」もたたりの1つに数えられているようだし、ネット検索したところでは邪気祓いの宣伝にも使われていることが分かった。

 私自身は、たたりなど一切信じない人間であるが、占領軍による住民追い出しに抗して頑として動かず平和を守り抜こうとした鳥居には、邪気というよりも崇高さのようなものを感じてしまう。モノレールに乗って天空橋を出たところで窓の外を振り向くと、移転後の大鳥居を眺めることができるという。こんど東京に行ったついでにぜひ拝んでおきたいものだ。




構造改革は、まず本会議の合理化から

 昼食を終える頃、ちょうど国会中継が始まった。小泉さんはずいぶん長いこと総理大臣をやっているように錯覚してしまうが、実はこれが就任後初の施政方針演説になるのだという。高校で習ったかどうか忘れたが、今の時期に「就任後初」というのは奇妙な話だ。ええと、通常国会開始後に最初に行う演説ということだったかなあ。

 小泉さんの演説内容は最初の5分間程度しか拝聴できなかったが、本会議ではヤジを飛ばす議員もあれば、起きているのか寝ているのか分からない議員も見えた。国民の代表の前で首相が施政について演説をするということは、代議制の民主主義の社会では最も重要な行為ということになるのだと思うけれども、これはあくまで形式論の話。合理的な視点に立てば、施政方針演説は文書の形で公開、議員全員が2000字程度でその文書に対する意見を述べるという形にしたほうが議論が深まるはずだ。自由に発言できるならともかく、ただ演説に耳を傾ける(←傾けているはず)だけのために会議場に身柄を「拘束」するというのは生産的でないようと思う。

 余談だが、わたしの学部でも1月から一部代議員制がとられるようになった。これまでは毎月、80数名の教員全員による教授会が開催されていたが、たいがいは5時間、6時間といった長時間にわたりくたびれる。そのわりに、発言する人は10名前後(←私自身は最も発言数の多い1名に数えられているが)にすぎない。代議員制が実施されたことで、教員全員を「拘束」する時間は、少なくとも2時間は減ることになった。

 これは学会の年次大会についても言えることだが、ただ講演を聴くだけとか、ポスター発表を眺めて内輪の会話をするだけというなら、わざわざ高い旅費を使い、貴重な時間を割いてまで会場に足を運ぶ意味はない。会議でも学会でも、とにかく、同じ場所に会する以上は、インターネットや文書のやりとりではゼッタイに実現できないようなインタラクションの機会に変えなければ意味がない。直接顔を合わせて時間と場を共有しなければゼッタイにできないこととは何か(←学会年次大会の場合は「それは懇親会だけだ」という皮肉も出ている)、それこそ、聖域を設けずに(←今回の演説では「聖域なき」が消えたそうだが)議論することが必要ではないかと思う。

追記]こちらによれば、
開会式の後に国務大臣の演説が両議院の本会議で行われます。
 常会では、内閣総理大臣が施政方針演説をするほか、外務大臣、財務大臣、経済財政政策担当大臣が演説し、特別会と臨時会では、 内閣総理大臣と場合によって他の大臣が演説するのが例になっています。




立春にジャスト7時に日の出を迎える場所

 2年前の2/3の日記で「岡山では立春の日に朝7時0分きっかりに日の出を迎える」と書いたことがあったが、こちらのデータにもあるように、今年の場合は、一日ずれて2/5の朝が7時0分ジャストの日の出となるようだ。このずれは、たぶん、立春の瞬間(太陽の黄経が315度になった瞬間)が、2001年の3時52分から今年は9時24分と、5時間32分遅くなったことによるのではないかと思われる。

 ところで、もう1年前の2000年の立春は2月4日の21時40分であった。閏年の挿入があったので、2001年よりも5時間12分前ということになるが、これではズレの時間間隔が一定になっていない。それと、1年(太陽年)は365日5時間48分45秒のはずなので、素朴に考えれば、5時間48分45秒ずつズレていくはずである。よくワカランが、黄経と赤経のちがいなんだろうか。それとも地球の楕円軌道のせいか。

 ちなみに春分のほうは、2000年が3月20日の16時35分、2001年が3月20日の22時31分、今年は3月21日の4時16分なので、こちらのズレはそれぞれ5時間56分、5時間45分となっていてやはり異なる。よくワカランが、歳差(地軸の首振り運動)によって、地球の楕円軌道の上を春分点が少しずつ移動していくためなのだろうか。天文も細かいところになると勉強不足が露呈する。