じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
カナディアン・ロッキーで見た動物。写真左はリス。行く先々で出没した。写真右はクロクマ。車道沿いに出没。このほか、昨日紹介した双発機による小旅行では、オスのトナカイらしき動物一頭を目撃した。大きな角を持った牛のように見えたが、あとで写真で確認したところではどうやらトナカイ(カリブー)だった模様。 |
【思ったこと】 _10829(水)[一般]ロケット打ち上げは「実験」だったのか「実演宣伝」だったのか 国産大型ロケットH2Aの1号機の打ち上げが成功した。過去2回連続して失敗し、今回は、背水の陣でこれに臨んだ。新聞記事などでは、「衛星市場へ第一歩」、「2回連続の失敗となれば、大型ロケットの開発断念を求める声が強まるところだった」、「『難産』の末完ぺき飛行」など賞賛の言葉が相次ぐ。 しかし、改めて、「打ち上げ」の意義と目的を考えてみると、今回行ったのは実験だったのか、それともある種の実演宣伝であったのか、今ひとつ分からないところがある。 打ち上げが何らかの実験であったとすると、そこでの成否は、机上のシミュレーションでは得られない貴重な情報をどれだけ収集できたかによって判断される。見かけ上の最終結果は必ずしも評価材料にはならない。たとえ途中で墜落したとしても、設計段階では想定できなかったような欠陥を100%露わにすることさえできるならば、それは実験としては成功したことになる。逆に、いくら好結果が得られたとしても、それらが幸運の積み重ねであって次回以降に生かせるようなデータが何も集められなければ、実験としては無駄遣いに終わったということになる。今回の「試験飛行」はどちらなのだろうか。 興味深いことに、TVや新聞報道の中では「打ち上げ」という言葉は何度も出てきたが、「打ち上げ実験」とは一度も言わなかった。やはり「実験」ではないのだろうか。 せっかくの祝賀ムードに水をさすようで申し訳ないのだが、もし「100%成功、失敗は絶対に許されない」という決意でロケット組み立てに取り組んだのであれば、初っ端から実用衛星を打ち上げるというぐらいの気概があってもよかったのではないか。仮にロケット一機の費用を100億円、実用衛星一個を300億円とした場合、次のようなケースが考えられる。
「試験飛行をやってよかった」と感じられるのは本当は【ケース4】であるはずだ。なぜなら、もしぶっつけ本番で衛星を積んでいたら結果的に【ケース8】となり、400億円を丸損してしまうからである。 「打ち上げの成功」といった場合、「終わりよければすべてよし」という意味での成功と、「次の本番に備えた情報収集」という意味での成功という2つの意味があるはずだ。純粋な学術研究で言うところの成功は後者でなければならない。幸運が重なって好結果が得られても、情報収集ができなければ実験は失敗になる。 これに対して実用化に向けた「実験」は、純粋な学術目的以外に、経費負担者(納税者や出資者)に対する「実演宣伝」がどうしても必要になってくるのかもしれない。確率論的に言えば、成功が2回、3回と続いても必ずしも安定性、確実性の証拠にはならないはずなのだが、莫大な出費について了解を求めるためには ●これまでは連続して失敗したが、失敗の中で得られた教訓を生かし、成功確率をこれだけ高めることができた。 という形でくどくどと説得を重ねるよりも、 ●今回は成功したじゃないですか。せっかく成功したのに、開発をうち切るのですか。 という形でアピールしたほうがはるかに「わかりやすい」ということになるのだろう。 |