じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 旅行先クイズ最終回。引き続き機上からの写真です。上の写真を見て、私が8月中旬に旅行した場所と目的を当ててください。 クイズは終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。



8月24日(金)

【思ったこと】
_10824(金)[心理]行動分析学会年次大会(1)痴呆性高齢者をめぐるシンポジウム

 海外旅行から戻った翌日から、北九州市で行動分析学会年次大会に参加した。旅行報告に先立って、記憶の新しいうちに大会中に思ったことをまとめてみたいと思う。なお、以下の報告は、プログラム順にはなっていない。

痴呆性高齢者をめぐるシンポジウム

 大会2日目の夕刻に表記のシンポが開催された。シンポでは、まず、「もの忘れ外来」で有名な山田達夫先生(福岡大学医学部)から、アルツハイマー病(AD)について医学的見地からの小講演をいただいた。

 医学の専門的なことはよく分からなかったが、私が理解した範囲では、アルツハイマー病は
  • 痴呆の6割以上を占める。
  • 病理学的には、タンパク質の構造異常により凝集不溶化し組織への沈着(→脳に発生する老人班)が起こる疾患である。具体的にはβアミロイドというタンパク質が何らかの原因で不溶化するために起こる。これが蓄積されると脳の神経細胞、とりわけ側頭葉海馬の部分の細胞死をもたらし痴呆へと至る。これは10年という長いスパンで進行していく。
  • 医学の重要な使命は、細胞死が起こる前の時点でADをいかに早期発見し、沈着や細胞死を防ぐかという所にある。病気が進行してしまった後でもアリセプト(donepezil)などの薬で改善することはあるが、もはや治療はできない。
  • 画像による早期診断は無理。それよりも
    • 何度も同じことを言う
    • 捜し物が多い
    • 愛想がよく、もっともらしくふるまう
    といった行動特徴から専門家が的確に診断することが必要。
  • 同居家族は上記の変化に気づかないことが多い。加齢にともなうごく普通の老化現象であると見誤ってしまう。
  • 急激な環境変化、要職に就くことによるストレス、近親者の死などをきっかけに急に発病することがある。
  • 予防策としては一般に、「◎魚 ×肉」、「昼寝の習慣」、「タバコを吸わない」、「ワインは抑制因子」などがあると言われている。
  • CDRI期からII期に進行する過程では、「少し前屈みになる」、「肩が左右どちらかに下がる」といった特徴が出てくる。
 痴呆の進行が細胞死を伴うものであるとすると、例えば自分の配偶者の顔を忘れてしまった場合、無理にそれを思い出させようとしても限界があるはずだ。「心の旅路」やコナン・ドイルの『五十年後』という小説では記憶喪失は何かをきっかけに劇的に回復することがあるが、同じことを痴呆性高齢者に期待することは不可能。それよりも、御本人の脳の状態に合わせて、最善の生活環境を整備したほうがより良い余生を送れるのではないかと思われる。

 ある程度の高齢に達した人が痴呆にならずに亡くなる場合と、重度の痴呆を伴って亡くなる場合で、どちらが幸せな最後にあたるのだろうか。目標をもち、計画的な人生を送ってきた人にとっては、過去をきっちりと総括し、近親者や知人に感謝の言葉を述べてから死ぬことで初めて人生を全うできることになる。そういう人にとっては痴呆は最悪の障壁となる。しかし、痴呆になったからといって何から何までマイナスということでもあるまい。ある意味では死の恐怖や、家族との離別の悲しみから逃れられることもある。ポジティブに考えていくほかはないだろう。

 以上、山田先生の御講演と若干の感想を述べた。山田先生はさらに、痴呆の諸特徴をふまえ
  • 残存能力を利用し、自立した状態を保つ
  • 分かりやすい人間関係を築く
  • 役割を持たせ生活行動を立て直す
といった点でグループホームのメリットを説いておられた。高齢者を施設に入居させることを拒絶する家族も多いと聞くが、上にも述べたように、脳の細胞死によって家族への記憶が失われてしまった場合、それを取り戻すことにこだわったり過去のしがらみに囚われることよりも、本人の今の状態を事実として受け止め、生まれ変わった人として接し、最善の生活環境を用意してあげることも大切かと思う。もちろんその前提として、施設側が入居者の能動的な行動に対して多様な結果を用意していることが求められるわけだが。

 このほか山田先生は御講演の最後のところで「生涯現役社会」の重要性を強調しておられた。真の親切とは、本人に成り代わって要求を満たしてあげることではない。本人の能動的な行動に対して適切に結果が随伴するように若干の手助けをするという姿勢こそが、「行動分析的親切」の本質と言えるだろう。




 シンポでは引き続き、現場での観察や実践についていくつかの話題提供があった。特に気づいた点を2つだけメモしておきたい。
  • グループホームにおける入所者の生活行動を1年間にわたり観察するという報告があった。そのご苦労は大変なものであろうと拝察されるが、できれば観察のカテゴリーをもう少し「具体的行動および結果」という形で記述してほしかった。
    例えば、「居室で過ごした時間」という記録があるが、「居室に存在する」というだけなら死人でもできるので行動とは言えない。居室でどういう行動を発し、どういう結果が伴っていたのかを細かく記録する必要があるかと思う。
    この点についてフロアから質問したところ、プライバシーの問題もあり、居室での行動の把握は難しいとのご回答をいただいた。その通りではあるが、例えば、テレビやカラオケ機器の使用時間や頻度のようなものは自動的に記録できるのではないかと思った。
  • デイサービスの際に、バス乗車や入浴をことごとく拒否する重度痴呆高齢者の事例が紹介された。興味深いのは、デイ時間に「ちょっと、ちょっと」と言いながら近寄り、ささやきながら要件を言うと、「おう、そうかね」と受け入れる頻度が多くなるという行動変化があった点である。集団全体に対して命令口調で誘導する場合と、その人だけに個別に依頼をする場合の効果の違いではないかと思ったが、本当の原因は何だったのだろうか。
 次回に続く。
【ちょっと思ったこと】