じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 「とっとり花回廊」の花壇。真っ赤な百日草が一面に植えられていた。このお花畑越しに大山を眺めることができたのだが、デジカメには写らなかった。



8月11日(土)

【思ったこと】
_10811(土)[一般]日本経済の変化を象徴する? 2つのバンガロー

 8/8と8/9に宿泊した山の家は、バンガロー形式になっていた。ここには、全部で8棟のバンガローがあり、うち5棟は平成5年、3棟は平成11年度築となっている。岡大では今年から平成11年築のほうを借り上げることになった。

 これまでの常識から言えば、新しく建てられたものほど上等で豪華なものになるはずなのだが、こちらの写真を見れば一目瞭然。H11年築のほうはテラスがカットされ材木の量も大幅に減らされていた。

 次に、敷地内の設備をこちらに示す。H5年築のほうは、木目調コンクリート製の立派なバーベキュー設備と硬質煉瓦の駐車場がある。周りはいちおう芝生になっていて、生け垣が巡らされている。いっぽうH11年築は、破砕砂利が敷き詰められているだけ。バーベキューは、なんとコンクリートの排水溝の上に網を置くだけの野趣ゆたかな(←妻は、ホームレスの人たちのキッチンみたいね、と言っていた)設備に様変わりしていた。

 その結果、8棟のバンガローが建ち並ぶ様子を東側(H5年築側)から眺めた場合と、西側(H11年築)から眺めた場合では、こちらにあるように、豪華さがまるっきり違ってしまうことになった。

 いろいろ事情があった上での結果であろうとは思うが、勝手なことを言わせてもらうならば、この種の施設は建築コストが安ければよいというものでもあるまい。「街並み」全体の雰囲気も大切にしないと、リピーターのお客が減ってしまう。木が豊富になるのだから、建物内部の家具も洋風なら洋風(例えば、大型のテーブルやライティングディスク、ベッドなど)、和風なら和風(いろり、畳、床の間など)で統一したほうがよい。実際は、板の間にカーペットを貼っただけの床にちゃぶ台、天井にはシャンデリア風の電球、粗大ゴミで拾ってきたような食器棚、積み上げた布団といった取り合わせであり、いくらバンガローとはいえ、ムード作りに今ひとつ欠けているように思われた。

 ちなみに、山1つ越えた新見市千屋では、温泉施設のほか、キャンプ場、「新見美しい森」、「まぎばの森」などが整備され、家族連れで賑わっているという。平日で天候不順というせいもあったのか、今回滞在したほうのバンガローの利用者は岡大関係者の3軒分のみ。オートキャンプ場や合宿施設の利用者も見かけないという寂しさだった。
  • どういうコンセプトで休養施設を整備するのか
  • どういう利用者層にアピールするのか
  • 滞在した時に何が楽しめるのか
といった点で、もう一工夫欲しい。好きな場所だけに、期待を込めてあえて文句を言わせてもらった。
【ちょっと思ったこと】

世界陸上

 カナダで行われている世界陸上の中継が面白い。単なる中継ではなく、出場選手のプロファイルが適度に織り込まれているところがよい。「TVチャンピオン」などもそうだが、競技の面白さは最終結果だけではない。各選手がどういう努力をしてきたのか、どういう思いで大会に臨んだのか、そういうプロセスを知ってこそ、心を引きつけるものがある。今回も、優勝賞金を自国の貧しい人々のために寄附してきたモロッコの選手、難病を克服して試合に臨んだ米国の100mハードルの選手など それぞれの種目に見所があった。

 このような中継スタイルをとった背景には、日本人選手が活躍できる種目がきわめて少ないという事情もあるのだろう。「がんばれニッポン」だけでは視聴率は上がらない。日本選手が全く出ない種目であっても、各国それぞれの選手への思い入れがあれば、それだけ期待感が増すということなのだろう。

 オリンピックのようにいろいろな種目が並行して行われる大会では、日本選手の活躍が期待される種目ばかりがどうしても優先的に中継されてしまう。それはそれで1つの楽しみ方ではあるのだが、日本選手がメダルを取れるかどうかばかりに注目してしまうことは、結果的に他国の選手の力闘ぶりから目をそらすことに繋がる。

 余談だが、1964年の東京オリンピックの時に制作された市川昆監督の映画は、そうした選手個人の競技に向かう意気込みに焦点を当てた名作であったが、記録性が無いなどと批判の声が出され、順位表の字幕を加えた修正版が公開されたように記憶している。37年も経ったいま、あの映画を初めて見る人が感動するとしたら、記録よりも映像の中で描かれた無名選手の姿ではなかろうか。

 そもそも個人の栄光は国境を越えて称えるべきもの。となれば、陸上であれ水泳であれスキーであれ、個人競技は国別の枠など設けずに自由に予選に参加させてもよいのではないかと思う。表彰式での国旗掲揚、国歌演奏も廃止。そのほうがすっきりする。国同士のメダル争いは、団体競技だけに限ってもよいのではないか。そのほうが、「地球人として努力を称える個人競技」と「平和の祭典としての国別の団体競技」という趣旨がはっきり分かれて、見所が増えるのではないかと思うのだが。



未来への教室

 夕食時にNHK教育「未来への教室」の再放送を見た。上記の世界陸上に呼応させたわけでもあるまいが、この日の出演はカール・ルイス氏。カール・ルイスというと私には100m競走での活躍のほうが強く記憶に残っているが、御本人は、競走よりも走り幅跳びのほうが技術面でいろいろな面白味があると言っておられた。空中で手を振り回すのは前のめりになるのを避けるため、というのは初めて知った。