じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ウイキョウ(フェンネル)の花を食べるキアゲハの幼虫。子供の頃、自宅の庭はユズの木があって、アゲハが卵を産みつけにきた。蝶になるまで何度か育てたことがあった。ガーデニングブームの中で、最近ではこの種のハーブに棲みつくアゲハが増えてきたように思う。



8月2日(木)

【思ったこと】
_10802(木)[心理]「臨床心理士」は学校の救世主か、心理学研究の多様性を排除する官業癒着の産物か(その6)「心理学統一資格」よ、どこへ行く?

 この連載のとりあえずの最終回として、「心理学統一資格」に関する話題をとりあげてみたい。

 1999年7月26日の日記にまとめたように、心理学関係の国家資格というのは、「精神保健福祉士」と「言語聴覚士」ぐらいもの。(私の知りうる限りでは)それ以外の資格は、民間の団体や学会による認定資格にすぎず、規模や基準もマチマチになっているのが現状だ。

 そんななか、心理学関係の諸学会の代表が集まって統一資格を作ろうという動きがあった。その経緯については日本発達心理学会のサイト内にある“ニューズレター:「資格問題」関連記事の抜粋”で、当事者の方々が詳しく書いておられるのでそれらを参照されたい。

 その記事にもあるように、心理学関係の資格として想定されているのは、おおむね「(学部卒レベルの)統一基礎資格」と「(大学院修士修了レベルの)職能資格」の2タイプに分けられる。しかし、ここ数年、日本心理学諸学会連合(「日心連」と略す)における議論は遅々として進まない。5/19の日心連第11回常任理事会記録でも、東理事長ご自身が、理事長所感として「この2年間は、目に見える具体的成果が得られたとはいえない」と述べてほどだから、そう判断しても間違いはあるまい。

 ではなぜそのように、議論は遅々として進まないのだろうか。その根本は、日心連加入学会の多くの会員の無関心さ、そして、協議に際して、教育や福祉現場の声が殆ど反映されていないことにあるのではないかと思う。

 それもそのはずである。大部分の学会の役員は、大学関係者で占められている。すでに大学の教員になった者にとっては、統一資格があろうとなかろうと自分の生活には関係がない。そういうことに関わる暇があったら、少しでも自分の研究に時間をとり、論文をたくさん刊行し、科研費や各種助成の獲得に専念したほうがよっぽど「お得」であろう。唯一困るのは、「財団法人日本臨床心理士資格認定協会」による大学院指定制強化によって、自分の大学の基礎系心理学のポストが臨床心理士有資格者に置き換えられることである。だから反対はする。しかし、現場の声を活かして資格のあり方そのものに建設的に取り組もうという姿勢が無いから、それ以上先に進まない。

 学会の中には、資格を学会の収入源程度にしか考えていない風潮もあるようだ。「ものつくり大学」設立の際に政治家が暗躍したことからも分かるように、資格問題は何かと利権が絡む点に留意しなければならぬ。日本発達心理学会の「4.資格をめぐって考えていきたいこと」という記事で、青柳肇氏はこの点を厳しく指摘しておられた。
「正直言って、○○学会の財政は、当学会の××資格からの収益によって支えられています。××資格がなくなったら、学会運営が難しくなります」。この発言はある大きな学会の一人の幹部が、心理学界の公的な会議で発せられ、私が直接聞いたものです。正直と言えば正直なのですが、釈然としないのを感じたのは私だけだったのでしょうか?.....【以下略】.....
こういう本末転倒の発想で資格問題を論じる学会がある限りは、議論が進展するはずはない。

 各学会の利害の調整と合意形成を第一に考えている限りは、いつまでたっても具体的な成果など得られないように思う。5/19の日心連第11回常任理事会で東理事長は「心理学界が2つに分裂することを回避する方向を目指すべきこと」という所感を述べられたという。分裂回避は大切だとは思うが、学界の外から見れば、単に「1つの業界の中でも棲み分け」として受けとめられてもおかしくない。極言するなら、学界が分裂したっていいじゃないか、それよりも、教育や福祉の現場が何を求めているのか、それを最優先に考えた資格づくりに取り組むべきだと思う。

 もう1つ、もし、「大学の心理学専攻を卒業した」程度で機械的に取得できるような要件であるなら、私はあえて資格など作る必要はないと思う。「○○大学△△学科心理学専攻卒業」という卒業証明書があれば十分。あとは大学間で教育の質を競えばよい。何万円も支払って認定証を貰うメリットは何もないはずである。




 今回の連載の執筆にあたって、いくつかの学会のHPを参照した。その中では、上にも挙げた、日本発達心理学会のサイトが、「資格」というものについて最も深く、本質的な議論をしているように思われた。臨床現場からのヒヤリングをきっちりと行っている点も評価できる。

 私の基本的な考えは1999年7月26日当時とあまり変わっていない。「資格」には
  1. それを行使することが法的に許されるような特殊技能
  2. 一定水準以上の技能の質の確保
  3. 個人の技能向上等のための具体的目標
という3要素があるが、心理学関係の資格は、2.あるいは3.が中心になるかと思う。医療行為のような統一された診断・治療基準が確立されておらず、むしろ多様であることが取り柄の心理学分野においては、統一資格のようなもので「流儀」を固定することは弊害が大きい。(研究者がお互いの向上と情報交換だけを目的に設立した学会は別として)各学会が現場の声を反映させながらさまざまな資格を作り質を競い合うことのほうがメリットが大きいのではないかと思うこの頃である。

[※]この連載は、“「臨床心理士」は学校の救世主か、心理学研究の多様性を排除する官業癒着の産物か”という少々挑発的なタイトルであった。無用な誤解を避けるため、連載を1つのファイルにまとめるさいには、「心理学の資格問題を考える」というソフトな名称に変更する予定であるが、記述内容は変更しない方針である。
【ちょっと思ったこと】

日本人の平均寿命/「高齢者福祉」とは結局「高齢女性福祉」かも

 厚生労働省が2日に発表した「2000年簡易生命表」によれば、日本人の平均寿命は男性77.64歳、女性84.62歳でいずれも世界一(8/2夕刻のNHKニュースによれば、二位は、男性がアイスランドで77.54歳、女性はフランスで82.22歳。但し、男性については、調査時期が異なるので、世界一と断言できるかどうかは不明)。

 各種報道によれば、男女の開き6.98歳は過去最大。男性が低い原因としては中高年層の自殺や、仕事中の事故死の危険性の違いも考えられるが、飲酒や喫煙、ストレスの影響も大きいのではないかと思う。というのは、もし自殺や事故死だけが男女の開きの原因であるとするならば、それらを乗り越えた80歳時の平均余命には男女差はないはずだ。実際には、80歳男性の平均余命が7.86年、女性は10.63年となっているので、なお3年近い開きのあることが分かる。

 この男女差のことで思い出したが、オーストラリア研修旅行で訪れた施設は、どこへ行っても圧倒的に女性が多かった。最初に訪れたブリスベーンの施設で尋ねたところでは、入所者の年齢は52歳(←脳障害の方)から99歳までであり平均は84歳。60名のうち、45名が女性、15名が男性という内訳だった。それ以外の施設でも男女比は、おおむね1:3程度であったと思う。

 6月以来あれこれと書いてきたが、ある意味で「高齢者福祉」とは「高齢女性福祉」に近いところがある。もっともこのことは、夫婦二人きりの老後を送るなかで、先に介護を受けるのは男性、夫が死んだ後で施設で暮らすのが女性と考えることもできる。妻を大事にしない男性は、死ぬ間際になって積年の恨みを晴らされることになるから大変だ。その一方、妻に先立たれた夫ほど惨めなものはない。何はともあれ妻を大事にしよう。



米国の職務観

 7/31の日記で「米国では、打ち合わせの翌日でも平気で辞めてしまうスタッフがいるというのは驚きだ」と書いたところ、お互いを更新する掲示板のほうで、ハワイご在住のShiroさんからフォローをいただいた(7/31の日記の追記参照)。そのついでに便乗質問をさせていただいたところ、さらに詳しい情報をいただいた。いつもいつも、ありがとうございます。
  • (長谷川)人材の流動の中で、特殊技術の守秘義務は大丈夫なのかなあ。
     もちろん、契約上、辞める際には会社で使用していたデータやコードなど一切のマテリアルは持ち出せませんし、業務上知り得た秘密について他言することもできません。本当に守られるかどうかは本人のモラルの問題になりますが…

     ただ、技術面に関しては、そもそも普段から学会などで情報交換するのが普通です。出せないのは具体的なコードや数値、プロジェクトの戦略などです。

     また、個人のスキルに依存する部分が非常に大きく、やり方だけ知ってもどうにもならない、という業務も多いですし。

     それに、狭い業界です。以前の職場の機密情報をぺらぺら喋るような人は、次のところへ移った時にここの情報も喋るってことですから、信用されません。

  • (長谷川)番組では、たけしさんが「アメリカでは、他の人を手伝うと、自分の仕事をとられるといって怒られる」などと言っていましたが、これはどうなんでしょう。
     怒るかどうかは個人のパーソナリティによりますが…

     私の印象では、日本に比べ米国では職務権限というものをよりきっちり決めて重視するようです。雇用契約の際に、job descriptionという形で、何の仕事をして、何に責任があるのかが詳細に決められています。

     責任の所在がはっきりして、パフォーマンスも評価しやすいという長所がありますが、あまりこだわりすぎると組織としての柔軟性を失いますし、バランスが難しいところです。




ロシア人ってどこの人?

 各種報道によれば、外務省は2日、3月にロシアで実施した対日世論調査の結果を発表した。日本への親近感の程度や、北方領土帰属についての質問を含むものであり、「世論基金」という調査機関に委託し、モスクワ州やサハリン州など5地域に住む3300人に面接調査を行って集計したものであるという。

 面接そのものは厳格に行われたと信じるしかないが、そもそも3300人はどういう方法で抽出されたのだろうか。少なくともサハリン州は、ロシアのメジャーな州とは言い難い。放牧や狩猟に従事している人に面接したとも思えない。何をもって「ロシア人」のサンプルとしたのだろうか。このところ外務省に関連したスキャンダルが相次いで明るみに出ているが、この委託調査に使われた経費が無駄金にならないことを祈る。また、数字の結果だけが「ロシア人全体の意向」という形で独り歩きしないことを望む。