じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 昨日に続いてキノコの写真。左が7/21、右が7/22撮影。たぶん、オオシロカラカサタケではないかと思われる。 [今日の写真]



7月23日(月)

【ちょっと思ったこと】

「グローバル化」と「多様性」

 夕食時にNHKのクローズアップ現代「マハティール首相が語る日本」を見た。娘とのチャンネル争いのため全体を通して見ることはできなかったが、経済のグローバル化の弊害がよく分かった。また今の日本について、改革は必要であるが変化を急ぎすぎていること、かつての日本はお手本であったが今は教訓であると指摘されていた点が印象に残った。

 私自身は、これまで、「グローバル化」という言葉から、地球環境や世界平和の問題を連想することが多かったが、ジェノバ・サミットでの十数万人規模の抗議行動にも見られるように、ここへきてにわかに「経済のグローバル化」という言葉が頻繁に登場するようになってきた。マハティール首相も強調しておられたように、経済のグローバル化は開発途上国の産業育成に重大な支障を与える恐れがある。また堅実に成長をとげてきた経済が海外投資家のマネーゲームによって一夜にして大打撃を受けることもある。とはいえ、外国からの投資によって国内経済の発展をはかろうとする限りは鎖国的な規制をとるわけにもいくまい。なかなか難しい舵取りである。

 少々脱線するが、少し前、生協食堂で「メニューのグローバル化」という言葉が使われていたことがあった。いったいどういう意味かと専務理事(当時)に尋ねてみたところ、単なる「国際化」つまり、世界各地の料理を採り入れた多様なメニューを提供するという意味であることが分かった。よい意味でも悪い意味でも「グローバル化」が一種のはやり言葉になっているように思える。

 では、「グローバル化」には本来どういう意味があるのだろう。どうやら次の2つの意味が混在して使われているように思われてならない。
  • 地域的な広がりを表現する言葉
  • 価値観、嗜好性、言語などの画一化、均一化を意味する言葉
 例えば「アジア独自文化を守れ」という意味でのグローバル化反対論は、地域間レベルでの多様性を求める声であると言える。しかし、アジア文化の特徴が「個よりも和を重視する」と主張する場合、そこでは、当該地域内における価値観の多様化は否定され伝統的な価値観の尊重が叫ばれることになる。

 かつての西欧諸国による植民地化政策ではキリスト教的価値観が一方的に導入されたたのに対して、いまのグローバル化は必ずしも特定の価値観の押しつけはない。地域間レベルでの多様性を求める「グローバル化反対論」が、地域内では多様化に反対する勢力と共同歩調をとらざるをえない点にこの問題の複雑さがある。

 生物の進化、適応をお手本に考える限りは、「経済のグローバル化」はやはり危険性が大きすぎるように思う。大国の経済が何らかの原因で崩壊した場合、世界全体がそのしわ寄せを被る恐れがある。大国の政権が独裁化し世界制覇に乗り出した時には、どうやってそれをくい止められるのだろう。

 これまでグローバル化の恩恵を最大限に受けつつ、のらりくらりと批判をかわしながら「もたれ合い」を維持してきた日本経済であったが、果たして、根底からのグローバル化に対応できるだけの地力があるのだろうか。

 それともう1つ、「経済のグローバル化」は、伝統文化一辺倒の価値観を破壊するという点では「多様化」をもたらすものの、しょせんは商業主義優先の「作られた価値観」を超えることができない。簡単に言えば、その地域の伝統食ばかり食べていた人が、マクドナルドやコカコーラを好むようになるという程度のものだ。趣味のレベルでも、経済活性化に貢献する派手なものはもてはやされるが、のんびりと夜空を眺めるとか、田んぼの用水のドジョウを捕るなどという趣味は、年寄りくさい趣味として衰退させられてしまうのである。




「候補者名」と「候補者氏名」の違い

 参院選挙もいよいよ終盤戦となった。比例区の候補者一覧の記事を眺めていてふと疑問に思ったのだが、某政党には、名前が一文字もしくは二文字だけの候補者がいた。いずれも芸名がそのまま認められたものと推測されるが、この場合、氏名という概念はどうなるのだろうか。一文字の方はどう見ても氏名には分離できない。二文字の方も相撲の四股名であるならば、その下に名がついていなければ不完全であるように思う。となると、比例区候補として受け付けられるのは、かならずしも候補者の氏名である必要はない、社会的に認知されていれば「名」だけでもよいということになるのだろう。

 それではいっそのこと、「候補者名」という芸名で立候補したらどうなるのだろうか。「候補者名」という芸名を禁止する法律はないはずなのだが、「党名もしくは候補者名を書いてください」という案内文は「候補者名」という特定候補を支援することになるので使えなくなるだろう。そう言えば、私が子供の頃は「公明選挙」がよく使われていた時期があったが、公明党の誕生により死語化してしまった。その他、「投票」、「名無し」、「氏名」、「政党名」、「 」(←ブランク)などが候補者名として認められるかどうか、大いに気にかかるところだ。

 日記才人に登録されている日記執筆者のハンドルなどはどうなのだろうか。その日記が長期間継続的に執筆され、ある程度社会的に認知されていれば、ハンドルでの立候補も認められるはずなのだが、単なるイニシアルや特殊記号でもOKなのだろうか。どなたか情報をいただければ幸いです。
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