じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] クフェア・レッドマウス。昨年の10/1の日記に写真が載っていたので秋咲きかと思っていたが、なぜか今年は7月から咲き始めた。その名の通り、赤いネズミの顔に見える。



7月19日(木)

【思ったこと】
_10719(木)[一般]「対米自虐史観」と「反米愛国主義」

 7/19の朝日新聞によれば、先月30日、キャンプデービッドの大統領山荘で小泉首相はブッシュ大統領に「戦争に負けて日本国民は米国の奴隷になるかと考えていた。しかし、米国が寛大に接し、食糧も提供してくれたため、米国が日本を旧日本軍から解放したという気持ちが強い」と強調したという。これって、取り方によれば随分と自虐的な歴史観ではないかと思う。要するに、「米国は、戦争によって軍国主義から日本国民を解放し、平和憲法を作り、民主主義体制の土台を作ってくれたありがたい救世主」という意味にもとれるわけだが、昨今話題の歴史教科書論議の中では、こういう歴史観はどう受けとめられるのだろうか。

 首相の靖国神社参拝をめぐって中国や韓国が反発を強めている。「日本軍が中国や韓国で戦ったことは侵略行為であり、首相として参拝することは、国としてそういった侵略行為を正当化することになる」というのが彼らの言い分ではなかったと思う。しかし、靖国神社や各地の忠魂碑にまつられている人たちは必ずしも中国人や韓国人と戦った兵士たちばかりではない。実態はともかく、「大東亜戦争」の目的は“自存自衛とアジアを欧米の支配から解放し、そして、「大東亜共栄圏」を建設する”ことにあったとされていた。特攻隊の兵士たちは、その共栄圏建設を破壊する「鬼畜米英」と戦うために命を落としたのである。

 そういう意味では、もし今の日本で何が自虐的かと問われれば、「第二次大戦時の日本軍の行為を一方的に謝罪すること」よりもむしろ、「原爆で何万人もの民間人が瞬時に虐殺されたことについて、戦争終結のためにやむを得ないことであったとあっさり受けとめてしまうこと」、あるいは、日本語が1つもできない米国人が日本でも自由に企業活動が行えるよう、日本の古典や漢文の勉強を大幅に犠牲にしてネイティブな米語の学習にあけくれている点にあるのではないかと思ってみたりする。

 ほんらい、欧米型の自由主義や共和主義と日本型の保守主義には相容れないところがあるはずだ。日本国内でそれが「親米自由主義」vs「反米愛国主義」という対立に至らないのは、おそらく
  • 冷戦時代、自由主義者や保守主義者は「反共」勢力として団結せざるを得ない状況にあった。また、「反共」の最大の守り手は米国であったため、国内の保守主義者は「反米」を口にできなかった。
  • 経済的に米国に依存してるため、「反米愛国主義」は経済界から支持されなかった。
  • 政治家やエリート層の子息の中に英米への留学経験者が多く、結果的に親米家が多数派となっている。
といった点にあるのではないかと思う。

 しかし冷戦が終結してすでに10数年。「反共」の一枚岩はくずれ、従来の「保守vs革新」とは全く異なる対立構造ができあがっていくような予感がしてならない。




 上記に関連して、最近読んだ本からヒントになりそうな記述を引用しておこう。1つは、精神科医の和田秀樹氏の『こころが変われば景気がよくなる』(1999)から[要約・箇条書き化は長谷川による]。

  • 今時、日本の戦後は終わっていないなどと言うと笑われるかもしれないが、私の見るところ、いまだに第二次世界大戦の敗戦は、日本という国が国家レベルで負ったトラウマとなっている。
  • 明らかに国際法に違反する市民の無差別爆撃や原爆投下を行ったアメリカは、日本人の多くから見ると主観的には虐待者であったはずだ。そして戦後の日本は、この虐待者であるアメリカを継父としなければならなかった。この継父は、かなりきまぐれで横暴だった。.....つまり戦後の日本はかつて虐待をされただけでなく、いつ機嫌や態度が変わるかわからない横暴な継父に育てられたわけである。これこそがトラウマ・サバイバーを生む家庭環境そのものである。
  • .....日本政府や一般の世論は、アメリカの機嫌を損ねないことにプライオリティを置き、まず自己主張をしようとしない。.....まずアメリカの機嫌をとろうとする、卑屈とも言えるほどの「親の機嫌取り」の態度はトラウマ・サバイバーそのものの態度である。
  • もう一つ、日米関係をトラウマという文脈で考える際に役立つ概念に、サレンダー(降伏)という心理状態がある。.....虐待の心の後遺症のためにサレンダー状態が起こるとすれば、それだけ虐待の程度がひどかったことを意味する。.....このサレンダーの考え方を用いれば、なぜアジア・アフリカ諸国では、あれだけひどい植民地政策がとられたのに、彼らがイギリス人やフランス人を恨まず、逆にそういう国の人たちはいまだに公用語として英語やフランス語を話し、またそういう国々のエリートたちが喜んでイギリスやフランスに留学するのかも理解できる。
  • アダルト・チルドレンと呼ばれる人たちが、親のことを恨んでも、かえって病状が悪くなり、治療が長引くことが多い。日本の現状がアメリカによるトラウマによって引き起こされたものであるとしても、嫌米は決して建設的な解決を生まない。ただし、言うべきことをはっきり言うという自己主張は必要だろう。
 もう1つは、鈴木孝夫氏が『日本人はなぜ英語ができないか』(岩波新書、1999年)や『英語はいらない!?』(PHP新書、2001年)で強調された対米服従型の英語教育の問題点であるが、時間が無くなったので引用は省略する。和田氏も鈴木氏も共通して言っておられるように、やはり「言うべきことをはっきり言うという自己主張」は、個人間でも国家間でも必要だろう。もちろん、国家レベルで物を主張する時には論理的妥当性だけで相手を説得することができない。相手がそれに賛同した時のメリットと、反対した時のデメリットが明確になるような相応のパワーが無ければ、利己主義できかん坊の外国に同調を求めることはできない(併せて、地球環境や人権を守るために、国家を超えたグローバルなパワーの形成も大切になってくるとは思うが....)。

 さて、サミットで小泉さんははっきりと自己主張するだろうか。それとも、和田秀樹氏が指摘するようなトラウマ、サレンダー状態を露わにするだろうか。
【スクラップブック】