じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 反魂(ハンゴン)草。昨年の夏、パキスタンのフンザで同じ花(写真右)が咲いていたことを思い出す。
[7/19追記]こちらによれば、正しくは「ヤエザキハンゴンソウ」(ハナガサギク)と呼び、オオハンゴウソウの園芸種らしい。パキスタンの山奥の民家でなぜたくさん植えられていたのかは不明。ひょっとして全く別種なのかもしれない。
[今日の写真]



7月18日(水)

【ちょっと思ったこと】

「○○大学なんて、必要のない世界をつくろう。」という宣伝

 7/19の朝日新聞朝刊に「○○環境大学なんて、必要のない世界をつくろう。」という○○環境大学長の署名入りの広告が掲載されていた。「環境問題がなくなれば、○○環境大学は使命を終える」、しかし現実には、環境問題は地球が直面している緊急の課題なので、あなたの力が必要なのだ、というかなりショッキングな広告であった。

 少し昔の話になるが、近くの○○理科大学が、新幹線岡山駅にリカちゃん人形の巨大写真を掲げて「リカ(ちゃん)の大学だと思っていました」という宣伝をしていたことがあった。少子化に伴い、今春には私立大の3割(493校中149校)、私立短大では半数以上(449校中246校)が定員割れ[]という状況のもとで、各大学の宣伝合戦も熾烈を極め、なかには、今回のようなユニークなキャッチフレーズも飛び出すようになってきた(ちなみに、上記の「○○環境大学」は私立ではなくて、「公設民営」型。念のため)。

 「リカの大学」というのはソフトイメージ型の広告、それに対して今回の広告は、いっけん自己否定と思われるショッキングなフレーズを使うことで使命感を引き出そうという作戦のようだ。この大学の特徴ががよく織り込まれていると言えよう。

 もっとも、環境問題は本質的には人間行動の問題である。何かの技術開発によって全面的に解決され、その使命を終えるという性質のものではない。

 例えば、昨年11月2日の日記でも述べたように、リサイクルは環境破壊の免罪符には決してならない。目に見える物質レベルでの再資源化ばかりに注意を向けてしまうと、その過程でどれだけ大量のエネルギーが投入されているのかに気づかなくなる恐れがある。真の循環型消費を実現するには、我々の生活スタイルの根本を変える必要があり、そのための人間行動についての研究は、地球に人類が存在する限り永続的に求められることになるだろう。

 念のため言っておくが、「○○環境大学なんて、必要のない世界をつくろう。」というフレーズ自体は、環境問題が将来解決されることを必ずしも前提としていない。「環境問題がなくなれば、○○環境大学は使命を終える」が、「環境問題がなくならない限り、○○環境大学の使命は永久に続く」という意味にもとれる。似たようなタイプの広告としては、例えば
  • 警察なんて、必要のない社会を作ろう。犯罪が無くなれば、警察は使命を終える(警察官募集)
  • 自衛隊なんて、必要のない世界を作ろう。日本を攻撃してくる国が無くなれば、自衛隊は使命を終える(自衛官募集)
  • ○○党なんて、必要のない日本を作ろう。政治・経済のあらゆる問題が解決すれば、○○党は使命を終える(選挙ポスター)
というスタイルが考えられる。この種の広告は流行していくだろうか。

※追記]今年度、私立大では入学定員約42万人に対して、志願者は約290万人。入学者は定員の1.13倍にあたる約48万人。




宴会なら喫煙はOKという非常識

 長時間の会議のあと、文・法・経三学部合同の恒例のビール大会があった。この大会、一昨年までは会議室の屋上の眺めのよい場所で開催されていたのだが、後かたづけが大変であることと、雨天の時の移動が面倒であることから、昨年から、生協食堂(閉店後のコンパ会場)に変更されている。

 生協食堂は創業時からホール内全面禁煙になっているのだが、なぜかこの種の宴会になると灰皿が用意され、テーブルのあちこちでタバコを吸う人が出てくる。実行委員会のほうもそれを当たり前と思っているようだが、嫌煙家の私にはどうにも非常識であるように思えた。

 岡大の場合、教室内も会議室内も禁煙になっており、この習慣は私が岡山に来た時からすでに徹底していた。事務局でも、仕事場は禁煙、特定の喫煙場所のみ可が徹底しているようだが、学部内の事務室では依然として幹部がタバコをくわえながら仕事をしている風景を見かける。嫌煙者や女性職員の健康を守るためにも、このあたりの改善がぜひとも必要かと思っている。