じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
琵琶の実。今年は表の年にあたり、たくさんの実をつけている。 |
【思ったこと】 _10531(木)[心理]園芸療法・園芸福祉を考える(4)園芸療法とは何か(前編) 人間・植物関係学会の設立をめざして中心的な活動を続けておられる九大の松尾英輔先生から、『グリーン情報』に連載中のエッセイ数編のコピーをいただいた。それらを拝見して、いわゆるガーデニングブームと園芸療法はどこが違うのか、園芸療法はいま何を目ざしているのかがよく分かった。 エッセイの中でも特に参考になったのは、「園芸療法は芸術療法ではない」という4月号掲載分のもの。この中で松井先生は、園芸療法の活動に取り組んでいる人からのお便りを紹介する形で、
念のため言っておくが、音楽や絵画、あるいは生け花や工芸などに取り組むことが園芸療法より劣っていると言っているわけでは決してない。重要なのは、園芸療法の本質的な特徴がどこにあるのかをきっちり抑えておくことだ。この点について松井先生は、 園芸療法の重要性と専門性をアピールするには、園芸療法がもっていて、ほかの療法にはない特徴とはなんであるかをきちんと理解していなけれぱならない。その特徴は媒体となる園芸のなかに存在するはずである。それがなければ、園芸の特徴を最大限に活かす園芸療法の特殊性も出てこないし、その専門性もありえない。ひいては、その専門家である園芸療法士もありえないことになる。と強調しておられた。 では、その本質はどこにあるのか。「植物や園芸活動を用いて心身の状態を改善すること」という、アメリ力園芸療法協会(AHTA、1991)の解釈ではきわめて曖昧だ。松尾先生によれば、ひとくちに植物に関わるといっても、生きた植物の生長にかかわるか、そうでないかという点で本質的な違いがある。園芸活動の本質は、生きた植物を「育てる」こと、言い換えれば栽培活動を行うことであり、その効用を療法的に活用するのが「園芸療法」であると定義される。となれば、生け花をはじめ、花絵、クラフト、草木染め、藤工芸などは園芸療法には含まれない。ここからは長谷川の意見になるが、老人施設などでポット苗を寄せ植えして飾りつけるのも、「育てる」という行為が含まれていないので園芸療法とは言い難いのではないかと思う。また、農業従事者の高齢化が問題となっているが、農作業に関わることは多かれ「育てる」ことに関わるので、園芸療法の効用を共有できる可能性がある。もっとも、商品的価値を優先した農作業の中で「育てること」の喜びがどこまで伴うかどうかは別の問題として残るが。 さて、以上のような形でとりあえず、園芸療法に含まれるものと除外されるものが明らかになるが、これはあくまで行為の種類による分類にすぎない。「育てること」がもつ独自の効果がどこにあるのかを具体的に明らかにしなければ「療法」と呼ぶわけにはいくまい。さらには、仮に効用が実証されたとして、それに携わる療法士をどのように養成するかという別の問題が出てくる。次回には、松尾先生の別の回のエッセイ「園芸療法に関する高等教育を考える」を参照しながらこれについて考えてみることにしたい。 |
【ちょっと思ったこと】
「好評につき」か「不評につき」か? 数日前、あるソフト会社より、 ○○コース先行予約キャンペーン、好評につきキャンペーン期間を×月×日まで延長しました。というメイルをもらった。これに限らず「好評につき機関を延長」というCMはよく見かけるが、ホンマに好評なんやろか。本当に好評であるならば、わざわざ改めて宣伝をしなくても申込みが殺到するはずだ。おそらく、真実は「不評につき」もしくは「キャンペーンを開始したが、期待されたほどの申込みが集まらなかったので、宣伝不足ではないかと反省し」、期間を延長したのであろう。こういうのは誇大広告、あるいは虚偽広告にはならないのだろうか。 |