じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 櫂の木の実。4/18の日記で櫂の木の花を御紹介したが、あれから1カ月余り。たくさんの実をつけている。



5月30日(水)

【思ったこと】
_10530(水)[心理]「殺意不明」で無罪判決

 1984年1月に札幌市の小学4年の男児が行方不明となり、その後DNA鑑定により本人と確認できる遺骨が発見された事件で、札幌地裁は30日、被告の女性(45)に無罪を言い渡した。殺人罪以外の罪はすでに時効になっており、他の罪名は適用できないという特殊な状況のもとで行われた裁判。判決では、「被告が重大な犯罪によって小学生を死亡させた疑いが強いが、死因が特定できず、明確な動機も認められないことなどから、殺意があったとするには合理的な疑いが残る」として「疑わしきは罰せず」の原則に基づき無罪が言い渡されたという。

 この種の裁判で争点となる「殺意」は、一般に言われる「意識」、「意図」、「意志」などと違って、客観的証拠を積み重ねて合理的に判断されるものと思われるが、心理学でも議論の多い概念が判決の決め手になることについては納得できないところがある。

 また、一般に殺意とは「殺そうという意志があったかどうか」を意味するものと思うが、被害者や遺族の立場から見れば、殺そうと思った犯人から殺されようが、殺そうとは思っていなかった犯人によって結果的に殺されようが、苦しみや悲しみの大きさは同じことである。

 「殺意の有無」などという心理学的に曖昧な概念を使うかわりに、
犯人が能動的行為によって被害者の自由を奪い、その結果的として被害者を死に至らしめた場合は殺意の有無に関わらず殺人罪を適用する
というぐらいの厳しい規定があってもよいのではないかと思う。もちろん、上記において犯人が、拘束した被害者の健康を保つように何らかの努力をした場合や、偶発的な出来事によって被害者が突然死した場合は情状酌量される。ただし、情状酌量の要件は被告側にそれを実証できた時に限って認められるものとすべきである。このような原則を確立すれば、
  • 犯人が子供を誘拐しその子供が死んだ場合は、死因にかかわらず殺人罪を適用する。
  • 被害者が拘束を逃れるために崖から転落した場合でも、そもそもの原因を作ったのは犯人側にあるのだから殺人罪を適用して当然。
  • 犯人が被害者を車に乗せたまま逃走し、交通事故により車が大破して死なせてしまった場合も殺人罪を適用して当然。
  • 飲酒や覚醒剤などにより自己責任を持てない精神状態を能動的に作り出し、その状態のもとで偶発的に人を殺してしまった場合も、その状態を作り出した責任は本人にあるのだから、殺人罪を適用して当然。
 こちらを初めとした連載で何度か意見を述べているように、そもそも犯行の動機などというものを第三者が語ること自体には限界がある。駅ホームでの暴行事件もそうだが、犯人側が被害者に能動的に(=オペラント的に)関わり、結果的に被害者の命が奪われた場合は、その全責任は犯人が負うのが当然。あとは情状酌量の問題として議論すべきであると思う。

 それにしても、無罪判決を受けた45歳の女性はこれからどういう人生を送るのだろうか。本来、無罪判決は「冤罪をはらす」結果をもたらし、周囲からも祝福されサポートを受けられるようになるべきものだ。ところが今回の場合は、「被告が重大な犯罪によって小学生を死亡させた疑いが強い」という前提のもとで、時効ゆえに殺人罪以外の罪は問えないという無罪にすぎない。すでに実名が広く知られているもとで、「無罪でよかったね」と暖かく迎える人々がどれだけいるだろうか。そちらのほうがむしろ気になる。
【スクラップブック】

大山の標高1709メートルに

 昨年10月の鳥取県西部地震で三角点が斜面ごとずり落ちた大山(弥山)で、国土地理院中国地方測量部は30日、新たに設置した三角点の標高を計測した結果、標高が1709.43mになったと発表した。1961年時点での標高は1710.63m。なお、大山の最高地点は剣ヶ峰の1729mであるが、山頂に至る稜線の崩落が激しく、一般登山者は縦走禁止となっている。