じぶん更新日記

1999年5月6日開設
Y.Hasegawa
[今日の写真] サザンカ。花びらが落ちて赤い絨毯ができた。花の図鑑によれば、花が咲いたまま落ちるのがツバキ、花びらごとに一枚一枚別々に落ちるのがサザンカという見分け方があるそうだ。このことからサザンカであると推定できる。

1月30日(日)

【思ったこと】
_00130(日)[心理]新潟県の長期監禁事件について思ったこと

 1990年11月13日に新潟県三条市で行方不明となった女性(当時小学4年)が、9年以上たった1月28日午後、同県柏崎市内で保護されたという。同市内に住む37歳の男性の家に無理やり連れていかれ、保護されるまでずっと監禁されていたというのはまことにショッキングな事件。人生の一番大切な時期を奪った罪は重大だ。

 この事件についてはまだ捜査中であり、軽率なコメントは差し控えたいと思うけれど、現時点でもすでにいくつかの疑問が浮かんでくる。
  • 男性の自宅は、市中心部の静かな住宅街にある[1/30朝日]というが、警察や近所の人はなぜ監禁の事実に気づかなかったのか。
  • 同居していた母親は本当に監禁の事実に「気づいていなかった」のか。それとも共謀にあたるのか。
 今回の事件ではまた、第三者が考えればいくらでも隙があったはずなのに、なぜ女性は逃げ出さなかったのかという疑問がある。この点については、「当初の恐怖で逃げる気力を喪失していた」とか「心にカギがかかった状態になってしまった」といった心理学関係者のコメントが寄せられているようだが、この手のコメントは
ああ、そのことでしたら、ほかにもこういう事例が知られています。それと同じですよ。
というように、一見不可思議と思われる現象が「ありがち」であることを指摘したまでであって、本質的には何も説明していない。

 監禁された女性に対する今後のサポートが大切であることは言うまでも無いことだが、類似の事件の再発を防ぐためには、なぜこのような長期間の監禁を許してしまったのかについて、どこに重大な欠陥があったのかを明らかにしていく必要がある。

 私自身の立場から言えば、この男性に対して、病院や臨床家がどういう対応をとってきたのかということに最大の関心を持たざるを得ない。1/30の朝日新聞によれば、この「男」は
  • 男性は工業高校を卒業後に地元の精密部品メーカーに就職したが、約半年で辞めた
  • 昼間は姿を見かけることはなく、時々、母親が運転する車で外出していた
とあり、他の記事を含めて総合的に判断すると「引きこもり」と「家庭内暴力」があったことが推察される。また実名が公表されないことから何らかの通院歴があったことも確かだと思う。となれば、医師や臨床家は何らかの「治療」をしていたはず。結果的に治療の欠陥、もしくは医療体制の不備がこのような行為を長期間許してしまったことにならないのか、このこそに最大の関心を向ける必要があると思う。



 現時点でこのことまでふれるのは言い過ぎかもしれないが、「引きこもり」とか「家庭内暴力」に対してカウンセラーが有効に対処できていない問題点についてはこれまでも指摘したことがある。例えば97年7月25日の日記では金属バット息子殺人事件(こちらに資料集があります)での、カウンセラーの対応について
父親が、鼻の骨が折れるほど殴られながら、土下座して息子の言いなりになっていたのは、「親が子の要求に答えてやることが必要です。暴力に立ち向かうのは、よくない」というカウンセラーの教えをひたすら守っていたため
という『女性自身』(8/5号)の記事を引用して考えを述べたことがある。同日の日記ではまた、小田晋・国際医療福祉大学教授の発言も引用しており、ここに再掲させていただく。
“現状では日本のカウンセラーの大半が、来談者の自主性にまかせて、本人の話に根気よく耳を傾けるという方法をとっています。これは精神分析の考え方から出発したカール・ロジャースという心理学者の技法で、この方法は本人が苦しんでいて立ち直る意欲がある場合は効果的ですが、本人が自分の問題性を自覚していない場合は、そもそも治療に入れず、その間に事故が起きてしまうことが稀ではありません。”...“米国では今日、行動科学の考え方に立って、本人の行動を矯正していく方法のほうが盛んになっています。”
 もう1つ、平成7年から始まったスクールカウンセラーの制度についての小田教授の次のような発言も引用している。
“このスクールカウンセラーの多くは、ロジャーズ方式なのです。つまり、向こうから来るのを待っている。しかも、カウンセラーの多くは、心のケアが大切だという大前提のもとに、犯罪心理学や精神医学を学びたがらない。”....“自主性の尊重という名の放任は、危険きわまりないことです。”..
今回の事件が、どの程度上記の引用に該当するかは今後の捜査の結果を待たなければならないが、1/31の朝日新聞では
男性は同市内の隔離病棟に入院中で、精神状態がなお不安定だという。捜査本部では、医師の判断を仰いだうえで、立件に向けた最終的な判断を下すことにしている。
という。しかし、もし過去に治療を継続していた医師だけの判断を仰ぐというなら、これは問題。立件できないという事態にでもなった場合は、そういう犯罪行為を放置した医療体制や社会体制自体が告発されなければならないと思う。
【ちょっと思ったこと】
  •  1/27木曜日に放映されていたNHK地球に乾杯「苦難の巡礼300キロ」を初めから終わりまで見た。雲南省(←ATOKでは「ゆんなんしょう」と入れないと変換されませんなあ。さすが!)とチベットにまたがってそびえるメイリシェーシャン(梅里雪山)を一周する聖地巡礼2週間の旅を9歳の男の子が初めて体験する話。少し前に、ちはるさんもふれておられた。

     新婚当時にインドヒマラヤの5000mの峠を超えたことがある。あの時も2週間近くかけて似たような景色の山道を歩いた。濁流、細い山道、間近にそびえる雪山、....チベットってどこも同じような景色なんだなあ、と懐かしくなった。

     とはいえ、私たちの場合は、コックさんが同行。キャンプ地にたどり着く頃にはすでにテントが張ってあり、夜は暖かいシュラフにくるまって寝た。彼らの場合は、ハイキング用のビニールシート一枚を屋根代わりに張って、その下で古い布団にくるまって身を寄せて寝ていた。もちろん食事はすべて自分たち。疲労回復の特効薬は、塩分で味付けした特製のバター茶。風呂に入らないことはもちろん、垢も落とさないほうが良いとされているとか。都会の生活に慣れきった私たちには、あのような過酷な山行では生き延びることさえ難しいかもしれない。

     この巡礼、日本で言えば、大峰山系の行者による修行のようなものだろうか。日頃、家畜の放牧等で家から離れられない人々にとっては、一種のお伊勢詣でのようなところがあるのかもしれないと思った。この巡礼に3回出向くことが一生の夢であるというのは、ちょっと世界が狭いようにも見えるけれども、都会に出たところであのような壮大な自然には巡り会えない。あれこれと目移りし、リストラで打ちひしがれる都会よりも、あの大自然につつまれた閉じた世界の中で最高の自己実現をはかることのほうがひょっとして幸せかも。
【スクラップブック】
【今日の畑仕事】
チンゲンサイ、大根を収穫。