じぶん更新日記

1999年5月6日開設
Y.Hasegawa
[今日の写真] 岡山もこの冬初めて本格的に雪化粧。27日朝撮影。

1月26日(水)

【思ったこと】
_00126(水)[心理]キャッチフレーズを読み解く(2):ここがヘンだよ日本人/マルチスタンダード/定数削減

 水曜日の夜10時からの「ここがヘンだよ日本人」をチラッと見た。この番組、はっきり記憶していないが、どなたかのWeb日記で批判されていたのが見るきっかけであった。前回見た時は「鉄道の車内放送や駅構内の放送は必要か」、「アメリカの基地は必要か」など。今回は「学校に行かない子供は、悪い子ですか」という話題。「イジメに遭ったら、相手の一人をしばき倒せばよい」というインド人に「そんなのはインドでやってくれ、パキスタンとの原爆をめぐる争いと一緒だ」などと切り返すなど、問題発言が続出。さぞかし抗議の電話も多いのではないかと思うし、よくぞ国際問題の火種にならないものだとハラハラしてしまう。

 しかしこの種のディベート、結局は、「キャッチフレーズ」の人気投票のようなもの。発言時間も限られているので、筋道を立てて理詰めで納得させる余裕はない。どういう表現で多くの支持を集めるか、論敵をギャフンと言わせるかがすべてであるように聞こえた。

 さて、連載に戻って、吉野川ディベート問題を引き続いて取り上げてみたいと思う。昨日かかげた建設推進派のキャッチフレーズの中からいくつか抜粋してみると、次の2つのタイプがあることに気づく。 1つは「多数決結果よりも被災地住民の命を守ることが必要」というロジックであり、
  • 「住民の生命、財産を守るのは住民投票以前に行政の責任だ」(2/6朝日新聞記事)
  • 「多数決で決めるのは政治の場だけの話であって、技術的、科学的、土木工学的な根拠を要するものは投票行動の範囲外だと思っている」(2000年1月:中山建設相記者会見)
といったことを主張する。もう1つのタイプは、「住民投票は少数の意見にすぎない」という形で投票結果を軽視しようと目論む主張。例えば
  • 「投票に行かなかった人の気持ちも考えたい」(1/24:中山建設相記者会見)
  • 徳島市だけの問題でない。
  • 反対票は有権者全体の過半数に達していない。
など...。
 2つのタイプは個別的には建設推進を支持する立場をとっているが、双方を寄せ集めてしまうと自己矛盾をきたす恐れがある。なぜなら、前者の立場は世論がどうあれ、この計画を推進しないと住民の生命は守れないという固い決意を表明したもの。その立場から言えば、投票に行かなかった人の気持ちとか、有権者の過半数に達するかどうかはどうでもよいこと。それを少しでも建設推進の世論を有利に導こうとして、あれもこれもと理由を後からくっつけると逆に「建設という結論、さきにありき」という印象を与えてしまうことになるのだ。そういう意味では
「(水害の)被災予想地の四分の一の方々の意見を誇大視していたら、三十万の推進署名をしてくれた方々の気持ちを無視することになる。将来(水害で)命を落とす人がないようにしたい」(1/21:中山建設相記者会見)
などというのはまさに自己矛盾の典型。命を落とす人がないようにというのが本当の理由であるなら「三十万の推進署名」などに言及する必要はないはずだ。

 このほか、「生命を守る」とか「命を落とす人の無いように...」などというのは、よほど確実な危険が想定されない限り、軽々しく口にすべきではない。口にしても逆に「脅かしにすぎない」と信頼性を低めてしまう可能性のほうが高い。もし大災害が現実に想定されるのであるなら、建設大臣ではなく、土木工学の専門家たちの連名による緊急声明として発表されるべきだった。

 上記のように、全体として矛盾や不整合が生じるような集合になってしまうことを「マルチスタンダード」と呼ぶ場合がある。個々のキャッチフレーズは説得力があっても、主張に一貫性がなく、自分では建設的な論理体系を構築することができない。インパクトを与えるためにも、一貫性をアピールするためにも、キャッチフレーズは1つあれば十分。少しでも有利に論を進めようと、あれもこれもと寄せ集めて来ないことが肝要だ。

 さて、国会では、定数削減法案について与野党の大詰めの折衝が続いているという。この場合の当初のキャッチフレーズは「民間企業がリストラを行っているのに国会議員だけが安穏としているわけにはいかない」であったようだが、その後、「残りも比例区から削減すべきだ」とか「党利党略だ」、「議員の身分に関する問題なので慎重に」、「議長裁定に反する」、「予算が第一」といった別の主張が混入してきたために、本来の「民意を反映することを大前提にいかに国会議員の人件費をどう削減するか」という趣旨を忘れて、駆け引きや自分の党の正当化のための「キャッチフレーズ」の応酬に終始しているところがある。上記のマルチスタンダードという点で言えば、私は、小選挙区制に固執する民主党の対応に一番曖昧なところがあるように思えるが、さて、ギリギリの段階でどういうキャッチフレーズが飛び出すだろうか。注目していきたいと思う。
【ちょっと思ったこと】
  •  1/31の卒論提出締め切りを控えて、執筆指導に追われている。今年は17人の卒論生のうち8人が私のゼミに所属しているため例年の2倍以上のエネルギーが必要。先週木曜日のゼミは14時20分から17時40分までのところが20時すぎまで、火曜日は臨時の集中指導日として10時半から18時頃まで延々と指導を続けた。27日の木曜日はまた13時半からゼミ。何時までかかるだろうか。

     そんななか、喫煙/禁煙問題の情報の収集にあたってインターネットのHPを利用する卒論生も出てきた。厚生省のほか、禁煙マラソンを実施しているHPなどが対象だが、本文中や引用文献表でどう記載させるか少々迷うところだ。例えば、もし私の血液型性格判断資料集を本文に引用したとすると、
    長谷川(1999)は“.....”と主張している。
    と引用される。この部分は印刷された文献と同じ表記でよい。問題はurlの記述方法。とりあえず
    長谷川芳典 (1999). このページはなぜ長期間、開店休業状態になっているのか。 インターネットホームページ「血液型性格判断資料集」(http://www4.justnet.ne.jp/~hasep/bloodtype/991108.html)、1999年11月8日更新、2000年1月26日閲覧)
    というような表記が可能だが、未だ定式化されているとは言えない。HPの場合、urlが変更されたり内容が書き換えられる恐れもあるので、Topページのタイトル、著作権者、更新日付、閲覧チェック日を明記することは不可欠となるだろう。

     インターネットのホームページなど引用価値が無いという主張もあるが、最近ハッカーの侵入を受けて話題となっている官公庁のHPなどには貴重な統計資料や審議会報告などが掲載されている。仮に印刷物として並行的に公表されているものであったとしても、読み手の利便を考えるならば、urlを併記したほうが親切というものであろう。

     HPの引用に否定的な考え方に加えて、書籍や学術雑誌ならなら何でも引用OKという風潮 があるが、すでに絶版となってしまった書籍や、発行部数がきわめて少ない雑誌の場合などは、いくら引用したところで「収集した化石のコレクション」に言及しているようなものであって、第三者が閲覧するにはきわめて日数やコストがかかる場合がある。学問の発展に必要な情報収集の効率化、スピード化を重視するならば、HPを引用文献とする論文は今後も増え続けるであろう。

     HPを引用することの一番の問題は、内容が書き換えられたりurlが変更されたりしてしまうこと。引用価値のあるコンテンツを保持するためには、図書館などの公共機関が何らかの形で永久保存する事が望ましい。これは、印刷物としての学会誌をHPでも閲覧可能な状態にするという発想とは根本的に異なり、最初から印刷を前提とせずに、内容を保全し、将来にわたってアクセス可能な状態で保管しておくという考え方だ。すでに大学、学会、個人レベルではそういう試みがなされているようだけれど、利便性と安定的信頼性を高めるためには、やはり公共的な「電脳図書館」でメンテすることが望ましいように思う。時間が無くなったので、この話題については別途機会を改めて取り上げたいと思う。
【スクラップブック】
【今日の畑仕事】
積雪と凍結の恐れがあるため、チューリップやフリージアの鉢を移動。