じぶん更新日記

1999年5月6日開設
Y.Hasegawa
[今日の写真] 妻の手製のしめ飾り。

12月31日(金)

【思ったこと】
991231(金)[一般]西暦2000年は12月31日になって初めて祝うべきであるという無粋な話

 世の中は西暦2000年祝賀ムード。31日夜のテレビ番組でもカウントダウンとか「20世紀を振り返る.....」特集が目白押し。おまけに、エリツィン大統領辞任のニュースまで伝えられてきた。やや不謹慎な言い方になるがコンピュータの2000年問題も結果的に「いつもと違う行く年来る年」の緊張感を盛り上げていると言えよう。

 しかし、コンピュータの2000年問題を別にすれば、そもそも何で2000年の1月1日を迎えることがそんなに重大な出来事であるのか私にはよく分からない。

 すでにいろいろなサイトで指摘されているように、西暦は0年ではなく1年から始まっている。したがって100年単位ならば下2桁で「01年から00年」がひとくくり、1000年単位ならば下3桁「001年から000年」までがひとくくりにならなければ、一番最初の区切りが1年から99年までの99年間(あるいは1年から999年までの999年間)というように1年短くなって不揃いをきたすことになる。その観点から言えば、2000年1月1日というのは、下図のように20世紀という区切りの中の通過点の1つにすぎず、何ら特別の意味を持たないことが分かる。
[Image]  ではこれにも関わらず、これほど祝賀ムードが盛り上がったのはなぜだろうか。景気浮揚のためには無節操でも何でもいいから利用してしまおうという意図があることに加えて、どうやら、「満20歳」、「創立20周年」、「2000人目の入場者」などの「区切りのよい値」との混同が一因になっているように思える。しかし、
  • 満20歳 年齢はゼロ歳から数えるので20歳の誕生日は20年間が経過したという意味のある瞬間ということになる。
  • 創立20周年 これも創立から1年経過した時点を1周年として勘定しているので意味がある。
  • 2000人目の入場者 入場者は生身の人間であってそれ以上分割できない。その人が入口を通過するにあたって、鼻先が通過したとか、お尻の最後部が通過したということは考慮する必要がない。
以上のように見ていくと、2000年1月1日というのは、西暦1年1月1日から数えて1999周年。区切りを祝うべき瞬間としてはまだ時期尚早であると言わなければならない。

 余談だが、1999年が「1900年代最後の年」とか「1000年単位の1000年代最後の年」と呼ばれるのも少々疑問に思っている。「20歳代最後の年」という場合は上記のようにゼロ歳が起点になっているから何ら問題ない。1が起点になっているならば、ひょっとして西暦2000年が1900年代最後の年になるのでは?という可能性は無いのだろうか。

 もう1つ余談だが、入場者とかWebカウンタの場合、なぜ「2001」よりも「2000」のほうが意味のある数値として受け止められるのだろうか。これはおそらく、「2000」が何らかの努力を続けてきたことへの達成の象徴であるということ、「2001」のほうは、新たな出発の象徴であることによると思われる。その施設を支えてきた関係者にとっては、入場者2000人目というのはそれまでの努力を報いる区切りとなるからお祝いの対象になるのだ(←裏を返せば、何の努力もしない人には祝うべきものもないということだ)。

 ということでとにかく、西暦2000年。新たな出発の瞬間はまだ早い。人類の過去100年あるいは1000年の歴史を振り返るべき20世紀の最後の1年がやってきたと受け止めるべきであると私は考える。

※私はキリスト教徒ではないので、2000年と2001年それぞれにどういう宗教的意味があるのかについては何も知らない。ふだん西暦を用いるのは、国際語として英語を用いるのと同じで、世界中の大部分の国で共通して使われているからというだけの理由。従って上述の考察も、人類の歴史を100年あるいは1000年単位に区切って考える際の合理的で整合性のある物差しを考えてみただけのことである。なおミレニアムについてはこちらに詳しい解説がある。
【ちょっと思ったこと】
  • 朝10時45分頃に岡山を出て、夫婦で運転を交代しながら、山陽道〜岡山道〜中国道経由で16:30頃に北九州に到着。中国道はガラ空き。全行程中でトラックは何と2台しか見かけなかった。そんななか途中の七塚原SAで休憩していたところ、観光バスが次々と到着し若者たちがレストランのほうに大量に押しかけていた。バスのフロントグラスには「Change & Ask ミレニアム何タラツアー」というような文字があったので何かの宗教団体かと思ったが、妻に聞いたらあれは「Chage & Aska」というのだそうだ。妻は「本人が乗っているなら見たい見たい」と言っていたが芸能界に疎い私は何のことやらさっぱり。

  • 車を運転中、NHK第2放送で「人生3つの歌あり」という番組の再放送をやっていた。登場したのは畑正憲氏と『塀の中の懲りない面々』の作者の阿部譲二氏(←漢字は失念してしまった)。畑さんは中学時代に初めてラブレターを書く。その相手が今の奥さんというのがまことに微笑ましい。そして、60過ぎてポルトガル語を習い、いずれ南米に行って原語でコミュニケーションを交わしながら新たな小説を書くと言っておられた。60過ぎると確実に虚無感(←という言葉を使っておられたかどうかは記憶不確か)が出てくるが、そういう中でも何度も何度も繰り返せば新しい外国語を習得できる。その上達は確実に生きがいをもたらしているように思えた。阿部さんの豊富な人生体験そしてこれからがファイナルラウンドであるという前向きの姿勢も大いに参考になった。
【本日の畑仕事】
帰省のため何もできず。
【スクラップブック】