じぶん更新日記

1999年5月6日開設
Y.Hasegawa

[今日の写真] 前にもご紹介した不明の花。今が見頃。お名前をご存じの方、ぜひ教えてください。

12月9日(木)

【思ったこと】
991209(木)[一般]テレビで報道してもらいたいこと(2)「犬が人を噛んだ」ニュースと「人が犬を噛んだ」ニュース

 12月2日の日記の続き。前回の日記では、テレビには、「限られた時間の中で局側が定めた優先順位に従って一方向的に限られた時間の中で情報を伝達する」という特徴があること、それゆえ新聞記事やネット上の情報発信に比べて受け手側の選択の幅が著しく制限され、かつ受け身的にならざるをえないことを指摘した。今回は、日常生活の中でめったに起こらない特殊な事例(例えば非常に残虐な殺人事件)と、ありふれているがあってはならない一般性の高い事例(例えば交通死亡事故)のどちらに報道的価値があるのかということについて私見を述べたいと思う。

 副題の“「犬が人を噛んだ」ニュースと「人が犬を噛んだ」ニュース”というのは小学校の頃に何かの授業で聞いた話。「犬が人を噛む」ことはありふれていているのでニュースにならないが、人が犬を噛むことは非常に珍しいのでニュースになるという事例。もっともいまの世の中では、犬が人を噛むことも飼い主の管理責任を追求する事例として重視される場合があるので、必ずしも典型にはならない。いま風に言えば、「車がぶつかって人に怪我をさせた」はニュースになりにくいが、「歩いている人が車にぶつかって車を大破させた」なんていう出来事が起これば確実にニュースになるということか。じっさい、三省堂の『新明解国語辞典』(第五版)を見ても、ニュースは
ニュース:新しい(珍しい)出来事(についての知らせ)。
というように定義されている。新しさと珍しさがないものはニュースになりにくいということだろう。

 では、そういうニュースを伝えられるということは受け手側にとってどういう価値があるのだろうか。

 もちろん珍しいニュースにも、平凡な日常生活へのカンフル剤的な役割があることは確かだ。「こういうこともあるんだなあ。」と感じることは、固定観念や先入観への反例にもなりうる。しかし、珍しさが故の価値というのはそれほど大きいものとは思えない。それよりも、ニュースという具体的事例を通の中からどれだけ一般性のある情報が引き出せるか、どれだけ実生活の改善に役立てられるかということのほうがはるかに重要な価値基準になるように思う。

 そういう視点からとらえるならば、「犬が人を噛んだ」という事例からは、散歩中に犬に噛まれないためにはどうすればよいか、犬を安全に飼育管理するにはどうすればよいか、という一般性のある情報を引き出すことができる。「車がぶつかって人に怪我をさせた」というのも、より詳細に事故の原因を報道すれば交通事故の防止に役立つ。

 これに対して、「人が犬を噛んだ」というニュースはただ珍しいだけ。そういう特殊な人に厳重注意(重大な場合は刑罰を科す)するだけで防止することができる。「歩いている人が車にぶつかって車を大破させた」というニュースも、その人にちゃんと前を向いて歩けと注意すれば済むことである。

 テレビのニュースでは、誘拐事件や人質事件、残虐な殺人事件などにかなりのウェイトが置かれる。速報性という点から見れば当然であろうという見方もあるが、人の生命に関わる事例という点では交通死亡事故も、世界各地で問題となっている地雷による死傷事故にもそれ以上の重みがある。今年もまた「十大ニュース」選びの時期となってきたが、珍しさに引きずられて選ばれた事件は「十大」ではあっても、必ずしも「重大」とは限らない。報道というより受け手側の問題と言うべきかもしれないが、ありふれていると思われがちな事例のなかにこそ重大さが隠されていることに我々はもっと目を向ける必要があるように思う。
【ちょっと思ったこと】
  •  夕食時、家族全員で19時58分からの「週刊ストーリーランド」を見る。「TVチャンピオン」の裏番組になっているため、見るのは11月18日に続いて今回が2度目。あまり知られていない短編や新作をアニメ化して紹介する番組のようだが、前回と同じくなかなか面白い作品ばかりだった。

     1作目の「人類最後の男」は、人類滅亡のなかで奇跡的に生き残った男が宇宙を漂流する異星人の女性と交信し一緒に暮らそうと地球に迎え入れるが、実は体の大きさが全く違う巨人であったという話。オチは予想通りだが、「容姿(形)は伝わっても絶対的な大きさまでは伝えられない」という映像通信の特徴を考慮した秀作であると感じた。

     3作目の「閉じこめられた3人」は、それぞれ高所恐怖症、暗所恐怖症、閉所恐怖症という3人が高層ビルのエレベーターに閉じこめ、それぞれの恐怖症を克服して脱出するという話。エレベーターの故障が実は恐怖症の治療のために仕組まれたプログラムであったというオチは予想できてしまったが、そのあとのどんでん返しまでは思い及ばなかった。「他人がどうなろうと知ったことではない」という冷淡な人間のほうが恐怖症よりもっと重症なのだということがうまく描かれていた。
【本日の畑仕事】
チンゲンサイ、大根、トマト(赤くならないまま)、サツマイモを収穫。
【スクラップブック】