じぶん更新日記

1999年5月6日開設
Y.Hasegawa
[今日の写真] 時計台前のアメリカカエデの紅葉。大学祭の行われる21日〜23日頃までが見頃か。

11月14日(日)

【思ったこと】
991114(日)[心理]「行動随伴性に基づく人間理解」その後(4):介護保険料払った上に縛られて死ぬなんてイヤだ

 昨日の続き。今回は、NHK特集「縛られない老後〜ある介護病棟の挑戦〜」への感想を述べる形で、痴呆のお年寄りに保障されるべき行動随伴性について考えてみたい。

 この番組はちょうど先週の日曜日11/7の放送分を録画していたもの。ビデオを見る時間的余裕がなくとうとう一週間延び延びになってしまった。

 番組によれば、痴呆のお年寄りが入院している多くの病院では、危険につながる問題行動の発生を押さえるため、入院しているお年寄りにつなぎ服を着せたり柔道着の白帯のようなものでベッドや車椅子に縛り付けたりしているという。正確には「抑制」と呼ばれるが、実質的には入院患者の意思を無視して縛りつけているだけ。危険防止のためのやむを得ない措置というより、看護婦や介護スタッフの人手不足を補うための省力措置と言ったほうが当たっているような病院さえある。

 そうしたなか、福岡県内の10病院が「抑制廃止福岡宣言」を出し、患者を縛らないことを大前提とした介護を始めた。番組はこの宣言に署名した病院の1つである福岡県須恵町の正信会水戸病院の取り組みを紹介するものであった。この病院には介護療養型病棟135床と老人保健施設100床がある。医師の他、看護婦、介護スタッフが揃っておりかなりの規模の病院である。

 入院しているある男性は、オムツを自分の手で勝手に剥がすクセがあり、それまではつなぎ服を着せられていた。縛らなくなったことで、最初はベッドの上に排便をしてしまい、そのたびに介護スタッフはシーツの取り替えに追われる。しかし、排便の頻度を詳細に観察記録し、便意をもよおしたことを事前に知らせる訓練を重ねることで、ついに便器で用を足せるまでに回復した。

 ある女性の場合は、車椅子から立ち上がって歩き回ると転倒して頭を打つ危険がある。縛らなくなったことで、いつ何時立ち上がるか分からない。そこで、介護スタッフはこの女性が夜間にも起きていて車椅子に座っている時は、一緒にこの女性の車椅子を押しながら他の病室を回って世話を続ける。確かにたいへんな労力である。

 このほか、時たま、突然体調を悪化させるお年寄りがいる。夜間にそういうことが起こると、数少ないスタッフはその救急措置に追われて、入院者全員に目が届かなくなる。そういう時にはベッドから落ちるなどの事故が発生しやすい。

 以上の番組を視て驚いたのは、上記のような抑制廃止宣言を出した病院はごく一部にすぎないということ。ということは、もし私や近親者が痴呆で入院することになったら、まず間違いなく縛られてしまうであろうということだ。介護保険の導入に伴って、生命に危険が及ぶ恐れがある時の緊急避難的な場合を除いてそうした抑制を行わない方向で改善が進むものとは期待されるが、危険性の判断は病院側に任される恐れもある。言い訳などどのようにでもできる。監査がある時だけ抑制を外すというアリバイ工作だってありうるだろう。

 番組で多少気になったのは、なぜ抑制をしてはいけないかという理由づけの部分だ。番組を視る限りでは、「縛ることは人権上問題がある」という人権意識だけに根ざしているような印象を免れなかった。しかし縛ることが絶対悪であると見なしてしまうと、運転時に着用するシートベルトやチャイルドシートも、パラシュート降下時のベルトも、岩登りの際のザイルもみな「縛っているから悪」ということになりかねない。縛ることがどういう権利を侵害しているのかということをもっと掘り下げて考えてみる必要があるように思った。

 そうやって見ていくと、車椅子による移動自体が比較的自由に行える状況のもとでは車椅子から落ちないように固定することは必ずしも縛りとは言えないようにも見えた。またベッドから落ちないための縛りなどは、ベッドの周囲の柵を高めにすることによって取り除くことができるはずだ。

 ではどういう縛りがイケナイと言えるのだろうか。行動論的に言えば、それは「外界に能動的に働きかけ結果を得る」権利を侵害することにあるのではないかと思う。「オムツを外すから縛る(正確には、つなぎ服を着せる)」のがイケナイのは、縛ること自体にあるのではない。もしそういう論理を貫くなら、オムツを外さないお年寄りはいつまで経ってもオムツをつけられたままになってしまう。本当にイケナイのは、オムツをつけなくても便意を表出しちゃんと便器で排便できる可能性のある人から、その「能動的に働きかけて結果を得る機会を強制的に奪うことにあるのだ。このあたりは応用行動分析で積み重ねられてきたトイレット・トレイニングのノウハウが活かせるはずなんだが、残念ながら介護スタッフには伝えられていないようだ。どっちにしても、介護に関わる人的コストが大きくものをいうことは認めざるを得ないけれど...。

 番組では取り上げていなかったけれど、昔在籍していた医療短大で、作業療法士の先生から「能動的に食べる権利」という話を聞いたことがあった。多少訓練すれば自分の手で箸やスプーンを持って自力で食事ができる可能性のある人の口に強制的に食べ物を流し込むのは、能動的に食べて味わうという権利を侵害している。訓練がどんなに手間がかかっても、そういう能動的な働きかけを行う機会を奪ってはなるまい。

 駅の自動キップ売り場で、視覚障害の人が点字表示をさぐりながら目的駅のボタンを押そうとしている場面に出くわしたとする。当人から特に依頼されたなら話は別だが、当人が特に希望してもいないのに、勝手にお金を取り上げて「どこの駅までですか、私が買ってあげましょう」というのはお節介すぎる。やはり能動的に働きかけて結果を得るという権利を奪っているからだ。

 痴呆のお年寄りの人の場合に対しても、障害者の方たちに対しても、共通して言える望ましいサポートとは、代行者となって好子をそっくりそのまま手渡すことでは決してない。彼らが結果として好子を受け取れるように行動している機会を保障し、彼らの行動がより確実に強化されるような環境の整備に力を貸すということなのだ。介護保険もしくは福祉目的税のようなものによって実現されると伝えられているところの介護制度もそいうい内容を目指すものでなくてはお断りだ。少なくとも私は、縛りつけられて勝手に食物を流し込まれるような介護などまっぴら御免だ。
【ちょっと思ったこと】
  • 新聞を見ていた息子が「これはひどい!」と叫んだ。何の話題かと思えば、神奈川県警の不祥事である。日頃、時事問題には全く興味をもたない息子に「ひどい」と叫ばせるとは、全くとんでもないことをしでかしてくれたものだ。警察の不祥事は、一般企業や政治家の不祥事以上に子どもたちに深刻な影響を与える。一般企業の悪事は「世の中には悪い人もいるのねえ」ぐらいで片づく。(ホンマはこれでは困るのだが残念ながら、政治家というのも子供の目からみてあまり清廉な印象を与えていない。この点、警察だけは、悪者をやっつけてくれる正義の味方として依然として子どもたちから強い支持を受けている職業であったはずだ。日頃からテレビやTVゲームの暴力シーンが青少年に悪影響を与えていると説く人たちも居るが、それはそれとして、神奈川県警の不祥事(今回ばかりでない!)が青少年にどれだけ深刻な影響を与えたのかということを真剣に調べてみる必要があるように思った。
【本日の畑仕事】
ミニトマト、小松菜収穫。キャベツ3株植え付け。
【スクラップブック】