じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ワルナスビ。農学部農場付近では薄紫色(上段)と白色(下段)の2つのタイプを見かける。日記本文参照。


6月11日(金)

【思ったこと】
990611(金)[家庭]ワルナスビの花で子育ての失敗談を思い出す

 農学部農場の一角でワルナスビの花を見た(上の写真参照)。農学部農場付近でよく見かける雑草で、まさにナスそっくりの花をつけている。そのうち実が熟すと、小指の先ほどのスイカ模様の実をつける。繁殖力が旺盛な上に棘がある。あまり歓迎されない雑草だが、抜き取るほど迷惑というわけでもない。

 このワルナスビをめぐっては、6年ほど前にあった子育て上の失敗談のことを思い出す。当時息子は私立小学校の2年生で、大学西門のスクールバス指定乗降所から自宅アパートまでをこの農場沿いの道を通って下校していた。

 ある土曜日の昼すぎ、その息子がニコニコしながら帰ってきた。そのわけを訪ねるとポケットからワルナスビの実を2〜3個取り出して食卓の上に並べた。それはミニチュアのスイカのような形をしていた。

 ところが、その時の私はよほど虫の居所が悪かったのだろうか、「ワルナスビって毒があるんだって。食べ物の近くに置かないでくれ」などと不用意なことを言ってしまった。近くにいた妻までが、「ワルナスビはトゲがあって刺さると毒だから気をつけなさいよ。」などという。息子はちょっと悲しそうな顔をして、その実を食卓の上からつまみ上げた。あとで見たら、息子はそれらをそのままゴミ箱の中に捨ててしまっていた。

 農場の道端で見つけた草花や木の実を持ち帰ってくることが多かった息子だが、そのことがあってから、少なくとも親の前に何かを拾って持ってくることをしなくなった。

 あの時の私の不用意な発言がどの程度息子を傷つけたかは分からない。本人にはそれほど大した出来事では無かったかもしれないが、少なくとも、道端の自然に興味を持ち何かを発見する喜びを奪ってしまったような気がして大変悔やまれた。実際、今でも息子は、植物にあまり興味を示さないところがある。

※この日記を書いたあと、たまたまパソコンの後ろを息子が通りかかったので、上の花の写真を見せて「これ何だか分かるかい」と聞いてみた。息子は「ああ、ワルナスビじゃないか。それって秋になるとスイカみたいな実をつける...」などと何気なく答えた。
【ちょっと思ったこと】
  •  6/11の朝日新聞文化欄に灘本昌久・京都産業大助教授の“なぜ「ちびくろサンボ」か”。今年は原作の『ちびくろ』がイギリスで出版されてから100年、日本で絶版になってから丸10年目にあたる年だという。

     灘本氏は“黒人の子どもがヒーローとして活躍しているとしか読めない絵本がなぜ人種差別であると批判を受けなければならないのか”と素朴な疑問をつきつめるなかで、アメリカで1945年に始まった批判運動が当初は、アメリカを含む黒人全般が未開で裸足で生活しているように描かれていることへの批判、次には「くろ」を用いたことへの批判、そしてさらには「サンボは差別語」というように、批判の論点が時代によって変化してきたことを指摘している。また同時に、日本国内でこの絵本が絶版にされた経緯が、差別問題についての社会的な進歩に基づくものではなく単なる出版社の危機管理の徹底によるもののように思えると指摘している。後者については他の事件でも出版社側の自粛が問題になったこともあり、出版界の一部に見られる「事なかれ主義」の表れとしてとらえていく必要があるだろう。

     この日記で何度かご紹介したように『ちびくろ』に関しては、信州大の守一雄さんが、独自の観点から主張を展開されている。守さんのロジックは“『ちびくろ』の面白さは主人公を黒犬に変えても何ら変わらないから差別意識に基づいた面白さを追求した本とは言えない”というようなところにあったと記憶している。その後、守氏自らの手による『ちびくろサン』を刊行され、さらに最近では、それを巡ってML上で交わされたディベートの内容が北大路書房から出版されていたように思う。

     『ちびくろ』問題については私自身は勉強不足であまりはっきりしたことは言えない。『アンクル・トムの小屋』なども含めてもう少し資料を集めたいとは思っている。余談だが、『トムソーヤの冒険』に出てくるインジャン・ジョーなどもネイティブ・アメリカンに対する差別意識の反映であるようにも見えてしまうが、どこからもクレームがつかないのだろうか。このほか、日本の漫画にも『冒険ダン吉』?とかいうのがあったなあ。

     ま、勉強不足の私がいまの時点で言えることは、「みんなが“そうだそうだ”と言っているようなどんな問題も、よく考え、自分のオリジナルの意見を形成した上で判断しよう」ということだろうか。
     話題が飛ぶけれど、最近のオウム教団の動きに対して、「地下鉄サリンで多くの人を殺したから悪だ。」というロジックだけで、「おらが村に施設を作ってもらっては困る。」とか、「特別立法により規制し解散させるべきだ」と主張するのはシンプルすぎる。オウムの過去の事件は法廷で裁くことができるけれど、これから先のことを問題にするんだったら、オウムの思想のどこが問題なのか、依然としてマインドコントロールの手法を使っているのかということを具体的に指摘して教団の危険性の有無を論じていく必要がある。

     そういえば、11日に提出された「国旗・国歌」法案に関して森吉朗氏が「議論をいつまでも続けていると、子どもたちの中で、この国旗・国歌が悪いのかということになってしまう」と自民党の立場を表明されていたが[6/12朝日]、これもよく分からないロジックだ。このロジックは裏を返せば、「法律で定めれば子どもたちはみな国旗・国歌は正しいものだと思うようになる」と主張していることにもなる。これでは思考停止を招く。「議論をする」ことで「正しい」と思うようになるのか「悪い」と思うようになるのかは双方の主張次第だ。肝心なことは、子どもたちにも自分で考え判断する力を身につけさせることである。

     かつて『ちびくろ』が絶版にされた経緯には、灘本氏もご指摘のように「差別問題には近寄るな」という事なかれ主義があったように思う。明らかな差別本であっても、差別のやり玉に挙げられている本であっても、あるいはオウムの宣伝本であっても絶版や発禁という形で決着をはかることには反対。「よく考え、自分のオリジナルの意見を形成した上で判断する」ことを妨げてはならない。

  • 6/12の朝5時半頃にテレビのスイッチを入れたらNHKでいきなり全裸女性の後ろ姿が現れてビックリ。「美の朝」という彫刻家を紹介する番組の中でモデルさんが写っていたものであったが、朝一番だけにちょっと驚いた。NHKの番組で女性の裸体を見たのはこれが2度目。1度目は、朝の主婦向けの番組で女性の下着を話題にしていたとき、女性の専門家が「この女性の胸の形は本当はこのようになっておりまして...」と言いながらいきなりモデルさんのブラジャーを外して乳房をむき出しにした場面であった。これは妻と一緒に見ていたが、思わず顔を赤らめてしまった(←わぁーっ、ジュンジョウだなあ)。TVで女性の裸体が出るのはそんなに珍しいことではないと思うが、NHKの番組となると何故か強烈に焼き付いてしまう

【新しく知ったこと】
  • 6/12の朝日新聞に日産の全面広告。自動車事故対策センターの「99年自動車安全情報」を転載し、日産の5車種がAAAという最高レベルの安全評価(運転者席でのAAA評価は4車種)を得て他社を引き離していることを強調する比較広告であった。日本国内では、比較広告は国民性になじまないとの見方がありこれまで滅多に見かけなかったように思う。うちの教室でもたまに比較広告を卒論研究でとりあげる学生が居る。もっとも今回の場合、AAA評価とA評価で安全性能にどの程度の違いがあるのか広告上で説明されていない。また、なぜ日産5車種、トヨタ4車種、本田とマツダが3車種、富士重工2車種、三菱1車種というように車種の数に違いがあるのかも不明。
【5LDKKG作業】
  • インゲンいっぱい収穫。ほかにジャガイモ、タマネギ。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】
  • 政府は11日の閣議で、君が代の「君」は「日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当である」などとする統一見解をまとめた。[6/12朝日]
  • 厚生省がまとめた「人口動態統計(概数)」[6/12朝日]によれば、
    • 1998年に死亡した人は93万6480人。うち自殺者は3万1734人(前年より8240人増)で過去最多。
    • 肺ガンの死亡者は5万867人で初めて胃ガンの死亡者を上回る。
    • 出生数は前年比1万1484人増の120万3149人。第一子を生む平均年齢は27.8歳と過去最高。合計特殊出生率は1.38で、英仏米よりも低い。
    • 離婚件数は前年より約2万組増の24万3102組で過去最高。同居期間20年以上の夫婦の離婚は約4万組。人口1000人あたりの離婚率1.94は過去最高でフランスの1.90を上回る。