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昨日の日記

7月23日(木)

【思ったこと】
980723(木)[生活]タジキスタンの思い出
 中央アジアのタジキスタンの山岳地帯で20日、秋野豊・前筑波大助教授ら4人が待ち伏せを受けて射殺されたという。この事件については、よろずや談義さんや、しゃれにならない日々さんも、それぞれ独自の立場から取り上げておられた。

 じつは、このタジキスタンだが、結婚してしばらく経った頃の8月に夫婦で旅行したことがあった。そこで、今日のところは、秋野氏の業績やPKO活動のことには一切ふれず、その時に見たこと、感じたことを思い出して追悼文に代えさせていただきたいと思う。

 私たちが旅行したのは、まだ旧ソ連邦内のタジク共和国と呼ばれていた時代のことであった。当時は個人旅行は原則として認められておらず、ソ連邦内の旅行はインツーリストという国営会社が一手に引き受けていた。これがきわめて官僚的で、政府関係者や労働組合代表ならばいざ知らず、格安の団体旅行に対してはきわめてサービスが悪く、しかも手続のミスで待たされることも多かった。

 中央アジアの旅行というと当時は、8日間ないし15日間でウズベク、カザフ、トルクメン、キルギス、タジク(いずれも当時の名称)各共和国を廻るのが一般的であったが、私たちが参加した団体旅行は追加設定だったこともあって、サマルカンドなど人気の高い観光地のホテルには宿泊できなかった。要するに、旅行の契約上は主要観光地が行程に組み入れられていたものの、宿泊地は向こうのご都合まかせ。その結果として、サマルカンドに泊まれなかった日数分、観光客には殆ど人気のないタジキスタンのドゥシャンベに3泊もさせられるハメになったわけである。

 タジキスタンというのは地図で見ると山岳地帯ばかりで清涼な気候であるかのように思われそうだが、南側の砂漠から熱風が吹き込むせいだろうか、とにかく45度を超える暑さで、夜も30度を下ることは無かった。お決まりの博物館めぐり以外には大して見るものもない。到着2日目の午後は自由行動となったので、夫婦で動物園を訪れてみた。3日目は、とにかく涼しいところに行かせてくれとの参加者の要望もあって、山岳地帯の「ワルゾフ峡谷」というところまで日帰りツアーに行った。秋野さんらが殺害された地点よりはもうすこし西側にあったと思う。

 当時は、平和そのものだった。私たちは、峡谷での約2時間の休憩時間をフルに活用して、二人だけで峡谷の上流部まで足を伸ばし、雪渓のある高い山を眺めてきた。
 ドゥシャンベの町の人たちもみな親切だった。動物園からの帰りにはトロリーバスを利用したが、乗客が多くて車掌から切符を買うことができなかった。隣に立っている人に片言のロシア語で切符の買い方を尋ねると一人4カペイカだという。二人分のお金を渡すと、そのお金がバケツリレーのように車掌の所まで届けられ、そこからまた二人分の切符が手から手へを渡って私たちのところに届けられたことを記憶している。町には大きなスイカが山積みされ、女性達も快活にショッピングを楽しんでいた。
 当時ロシア人は威張っていたことは事実であったと思うが、少なくとも当時の人々は戦争に怯えることは無かった。当時の平和な暮らしと今伝えられている状況を比較してみると、いろいろと考えさせられる問題が多い。 自然のアルバム特別編として当時の写真を期間限定で掲載しました。よろしかったら御覧ください。
【ちょっと思ったこと】
  • ハバロフスクからアシハバード(現在のアシガバード)へ向かうジェット機からの眺めは壮大だった。カザフスタンに入るとまもなく、窓の外が四方八方地平線までオレンジ色の砂漠の世界に変わる。これが地球か、それとも火星かと思わせるほどの変わり様だったことが今でも脳裏にやきついている。
  • この中央アジアシルクロード方面への旅行の後は、私の専任職への就職や子育てのため、夫婦では一度も海外に行っていない。ちなみに夫婦で旅行したのは、中央アジアとインドヒマラヤ(カシミール)トレッキングの2回のみ。いずれも現在は邦人の立ち入りが厳しく制限されているというのは、皮肉なことだ。
  • 7/24の朝日新聞によると、文部省は今年度分の補正予算で、公立中学の一部に冷房・お茶つきの「心の教室」を整備するという。15学級以上の学校には、コンピュータも置いてインターネットを利用して健康についての資料収集もできるようにするという。もともと青少年の不安やストレスの問題は多種多様で個別的な部分も多い。臨床心理士やカウンセラーが万能であるような見方には私は反対であり、多種多様な措置の一環としてこういう教室を設けるのもよかろうとは思う。ただ、実際にはどう活用されていくのだろうか。まさかインターネットで日記巡りや掲示板巡りをして心を癒せという意味でもなかろうが。
  • 堺市で1月に起こった通り魔事件で大阪地裁は被告の20歳の男性の精神鑑定をすることに決めたという。この事件で弁護団は、犯行時はシンナーの吸引などの影響による幻覚に支配されていたとして、シンナー吸引を除いて無罪を主張しているということだが、もしこういう理屈が通るならば、薬物使用中なら何をしても無罪ということになってしまいそうな気がする。シンナーであれ覚醒剤であれ、それを自発的に摂取した者はその後のすべての行為に対して刑事責任を負って当然であろうと思う。もし現行法上それができないというならば速やかに改正すべきだ。道交法では同じ事故を起こしても飲酒事故のほうが重罪になるはずなのに、なぜシンナー吸引に対しては寛大になろうとするのか、それとも被告自身に何らかの病的な問題が別にあったのだろうか。
【新しく知ったこと】
【リンク情報】
【生活記録】
【家族の出来事】
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
  • NY株式195.93ドル安の8932.98ドルで9000ドルの大台を割る。