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昨日の日記

5月28日(木)

【思ったこと】
980528(木)[社会]マジョリティの利害とマイノリティの正義
 東京地裁(民事十一部と十九部)は28日、国鉄の分割・民営化の際に多くの国労職員がJRに採用されなかったことについて「不採用を不当労働行為と認定し、救済命令を出した中央労働委員会の判断には誤りがある」として、救済命令を取り消す判決を言い渡した。
 相次いで出されたこれらの判決は、JRには職員の採用選考の責任を負う立場にないこと、また救済対象者をJRに採用されたものとしたうえで救済命令を出す権限が中労委には無いという法律判断を示したものと思われるが、法律の厳密な解釈はともかくとして、「遠山の金さん」のような「分かりやすい判決」とは到底言えず、憲法で保証された基本的人権が本当に守られているのか、ちょっと心配になってきた。

 脱線するが、分割・民営化の際に所属組合の違いによる不当な差別があったのかどうかについては、証拠に基づく判断のほか、推計学的な判断も可能であるということをちょっと指摘しておきたい。
 社会科学では一般に「統計的に有意」という言葉をよく使う。これは、データだけからは偶然の可能性を完全にできない現象に対して、偶然に生じる可能性が5%とか1%以下である場合に、「偶然に生じたとの帰無仮説を棄却」して、議論を進めていこうという近代推計学の立場に基づくものである。
 この場合に棄却の目安として設定される確率の値は、偶然である事象を偶然でないと誤って判断することによって生じる損失と、偶然でない事象を偶然であると誤って判断することの損失を天秤にかけた上で最終的に決められるものだ。たとえば、救命具の検査で不良品が出た時には、それを偶然であると判断するよりも、製造工程に欠陥があるとする判断を優先すべきである。救命具は命に関わる問題だから、製造工程に欠陥があるという疑いが完全に晴れるまでは製品の出荷を中止すべきであろう。これは「偶然でない事象を偶然であると誤って判断することの損失」が遙かに大きいという事例にあたる。いっぽう、刑事裁判では「無実の被告を有罪にする」誤りと「被告が真犯人であるのに無罪にする」誤りでは、前者の誤りのほうが重視される。それゆえ証拠調べにおいては「偶然である事象を偶然でないと誤って判断することによって生じる損失」を最低限に押さえる配慮がはたらくものと思われる。
 今回の問題について、組合別の採用率の違いが統計的に有意であるかどうか検定にかけてみたらどうなるだろうか。この場合、いちばん大きな被害を受けているのは、精算事業団を解雇された人々なのだから、「所属組合による採用率の違いは偶然である」とする誤り、つまり「偶然でない事象を偶然であると誤って判断することの損失」を極力抑える必要がある。差別的な採用を証拠づける書類があるかないか、が唯一の判断材料では無いと思う。

 分割民営化前の国鉄に対しては、通勤通学者の迷惑を顧みない政治的ストライキ、改札窓口や車内での応対の悪さなどマイナスのイメージが強かったことなどから、「国労は嫌いだ。そんな人はJRには要らない。」と、感情的に判断してしまう人も多いかもしれない。しかし、問題の本質は別のところにあるように思う。
 少々飛躍するかもしれないが、日頃、道徳教育を重んじる人は、関ヶ原の戦いで最後まで豊臣方に信義を尽くした武将と、途中で徳川方に寝返った武将のどちらを評価するだろうか。では、最後まで労働組合の組織を守るために献身的に尽くす行為はどう評価されるのか。こういうことも考えてみる必要があるかもしれない。

 以上、全体として、国労シンパのような発言をしてきたが、国労のこれまでの運動が結果的に国民大多数の利害に一致する形で進められてこなかったことは事実であろう。不適切な表現かもしれないが、国労は結果的にマイノリティになってしまった。いかに一貫性・整合性があったとしても、観念的なレベルだけでマイノリティの主張がマジョリティに受け入れられることは無い。
 そもそも世の中に絶対的な正義というものは無い。マイノリティの正義がマジョリティの利害には勝てないということは、アメリカインデアンやアイヌ民族の歴史を見ても明らかであろう。国労職員の差別的採用問題も、結局は、この枠組みの中で政治的に決着されていくことになるのだろうか。

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