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3月1日(日)

【ちょっと思ったこと(1)】

980301(日)
[自然]鍾乳洞
 夜のテレビ番組(「ザ・ゴールデンタイム」瀬戸内海テレビ1900-2054)で、岩手県安家洞探検の様子を取り上げていた。単調な洞窟内部の景色に飽きさせないよう大げさなナレーション(子供が、カメラはどこから撮っているの」と言っていた)が多少耳障りであったが、もと鍾乳洞マニアの私としては満足できる内容であった。

 子供の頃から鍾乳洞の神秘的な世界に強く惹かれてきた。ベルヌの地底探検(「地球の中心への旅」ただしこれは溶岩洞窟がモデルになっている)、トムソーヤの冒険の最終場面などもロマンをかきたてた。
 最初に行ったのは東京の日原鍾乳洞、中学時代には、友人どうしや「地学・天文・気象」のクラブの活動として、青梅線や五日市線沿線の鍾乳洞を「探検」した。これまでに、北は岩手県の龍泉洞から、南は沖縄の玉泉洞まで、かれこれ20洞余りを訪れたことがある。

 鍾乳洞の魅力というのは、「特殊な空間の発見」にあるのかもしれないと思う。だだっ広い大空や宇宙空間と違って、洞窟の中には自分の肌で感じ取ることのできる非常に個人性の強い空間がある。もっともこれを味わうのには、照明のついた観光洞では物足りない。ヘルメットをかぶりヘッドライトつけて進む洞窟でないと満足できない。もっとも、これには種々の危険がつきまとう。少なくともベテラン2人以上で入洞する必要があるだろう。
 岡山県は幸い鍾乳洞の宝庫である。新見市の近辺には、井倉洞、満奇洞、備中鐘乳穴など、有料の観光洞窟のほか、照明が全くない、愛好家向けの洞窟が多数ある。私が行ったことのあるのは「羅生門」の最深部にある洞窟や、北房のホタル公園の正面にある諏訪洞など。諏訪洞は、かなり昔には観光洞として公開されていたらしく、朽ち果てた梯子が残っていた。もっとも最近は、入り口数十メートル部分だけは、再び照明が取り付けられている。

 余談だが、観光洞窟の案内看板やパンフで「鍾乳洞」を「鐘乳洞」とする表記が気になるのは私だけだろうか。「鍾」が常用漢字に含まれていないために「鐘」を代用に使っているだけなのかもしれないが、読みは一緒でも意味が異なる。特別難しい字でもないので、できれば「鍾」の字のほうを使ってもらいたいと思う。
【ちょっと思ったこと(2)】
 5日に開幕する冬期パラリンピックの最終聖火ランナーから有森裕子さんの内定が取り消されたと聞く。「週刊誌で騒がれているような人では望ましくない」とか「夫婦一体論」、「結婚相手のゲイ発言」などが影響を与えたというように報じられているようだが、どうも納得がいかない。本人に何の落ち度もない状況のもとでの取り消しということは、非常に古い個人観、夫婦観、家族観にしばられている表れのように思う。単なる事なかれ主義かもしれないが。
 もっとも、パラリンピックの趣旨を考えれば、そもそもメダリストや有名人を登用すること自体にどういう意義があるのか、もういちど問い直して見る必要もあるかと思う。オリンピックが商業化しつつある現在、せめてパラリンピックだけでも、選手の個々の努力のプロセスが素朴に伝えられるような大会にしてもらいたいと思う。となれば、このさい、無名の選手たちが、手をとりあって最終ランナーをつとめるてもよいだろう。
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